輝くように白く、かわいらしい花姿の鈴蘭の花言葉は「再び幸せが訪れる」・「純粋」なのだそうです。
もう五十年以上も昔の、わたし太郎がまだ学生だった頃の話です。
大学へ向かう途中の街でよく出会い、挨拶を交わすようにもなっていたストレートロングの優し気な顔立ちをした女性から、ある日の夕方、一株の鈴蘭をいただきました。
電車の片隅に座って膝のカバン上に両手で包んでいる鈴蘭に、女子高校生たちがちらちらと視線を向けてはささやき合っている声が聞こえてきます。
「花言葉は、幸せを招くだったかしら」
家に戻るとさっそく庭の片隅に植えておいたのですが、わたしが図書館に行っているあいだに、庭木の手入れに来た植木屋さんが雑草と共に引き抜いていってしまいました。
大学を卒業してからは出会う機会はなくなりましたが、愁いを帯びた優しげな顔に恥ずかし気な微笑を浮かべて鈴蘭をそっと手渡してくれたそのときに、ちょっと指先が触れただけなのに、わたしの全身を心地よい痺れが走り抜けていったのを、懐かしく思い出します。
わたし太郎がいまとても幸せでいられるのは、見知らぬその女性がくださった鈴蘭の花のおかげなのかも知れない。
不思議な話はまだ続きます。
外国からのお客さんを案内して、奈良に出かけたときのことです。
公園の道を歩いていたときに、突然茂みの中から白装束のお婆さんが現れて、わたしを呼び止めました。
「あなたは十年後に前世で約束をした女性と出会い、幸せな人生を送ることになります。いまあなたの心の中にすんでいるのは人妻です。忘れなさい」
そういってすぐに姿を消していったのです。
白装束のお婆さんが言ったとおりに、十年後に、妻と出会って結婚することになりました。
通学の途中で道の向こうからやってきて、通りすがりに挨拶を交わすだけで終わった名前も住所もわからない女性は、いまどうしておられるのだろうか。
生きておられたなら、すでに八十歳を超えているはず。
数年に一度だけだが夢の中で学生街を歩いていて、口元に笑みを浮かべてただ会釈をして通り過ぎていくストレートロングの女性の顔かたちは、いまも昔と同じまま。
………… さてさて妙な話をしてしまいましたが、実は、これまでしてきた話は全部真っ赤な嘘です。
アイキャッチ画像の「鈴蘭」を見た瞬間にこんな小説のストーリーが頭に閃きました(わたしは小説に手を染めていたことがあるのです。もっとも小説教室の先生にこのあらすじをみせたら、内容が陳腐に過ぎる、と一喝されそうですが)。
実際のところ、もっともっと構想を膨らませていかないと作品にはなりません。
このストーリー性は、経営改善計画の立案、予算の作成においても欠かすことのできないものです。
ストーリーができていても、実際に小説を書き上げるのは、それはそれは大変な作業になります。
経営改善計画の立案、予算の作成も同様で、生半可な努力では、掲げた目標値を達成することはできません。
資金収支表はナビと同じです。それさえ使えるようになれば、いま何をしなければならないかが分かってまいります。
さて中期決算を終えて、いよいよ51期も後半です。
することは中期までと全く同じこと。
何度も何度も同じことを繰り返し練習して身につけるのは、何事も同じで、やがて難しい技も演じることができるようになるでしょう。
諦めずに続けてください。