「過つは人の常 許すは神の業」という諺があります。
正直を申し上げますと、わたくし太郎も、幼い頃から古希半ばの今日に至るまで、それこそ数えきれないほどの過ちを犯して来ました。
でも振り返って見ると、犯した過ちのひとつひとつがわたしに貴重な体験と学ぶ機会を与えてくれたのです。
「許すは神」というけれど、むしろ「過ちの中に神が宿っていた」とも言い換えることができ、無神論者であるわたくしでさえ、神に導かれて今日があるのだと思えてならないのです。
父から会社を引き継いだのが三十一歳。それまでは小説家になることを夢に見て文章修業に励み、書くことに倦んだときはバッハに聞き惚れ、レオナルド・ダ・ビンチやラッファエロ、アングル、クリムトに惹かれてヨーロッパ各地の美術館を訪ね歩くという、今思えば嘘のような毎日を送ってきました。
そんなわたくしに会社経営などが出来るわけがないのに、「社長の椅子に座ってくれているだけでいい。業務のすべては私たちがする」
亡父が病に倒れたときに、自宅まで膝を正して頼みに見えた、設立以来父を補佐してきた役員の言葉です。
入社して間もなく、その役員が、「あいつは何もできない。鏡餅みたいなものだ」、と陰口をたたいているのを耳にしたときは、確かにその通りかもしれないけれど、ショックだった。大いに傷ついた。
「跡を継げば一生楽をして暮らせる」
病床にあった父からは、学生時代から言われ続けてきた言葉だけれど、世の中というのがそんなに甘いものではないことを、就任してすぐに知らされた。
当社創立以来、売上高のほぼ100%を請け負っていた取引先が、当時業界を二分していた巨大量販店(今はなくなってしまった)に吸収合併されたときは倒産を覚悟した。
でも幸運なことに、衣料雑貨問屋さんたちが集う協会から、「量販店はほかにもまだたくさんあります。もしよければこれまで通りに、荷物を出しますから」と救いの手を差し伸べてくださった。
わたしの一生も挫折、挫折の連続だったけれど、会社もやはり生きもので、そんなに順調に伸び続けていくわけにはいかない。
足元には、いつ飲み込んでやろうかと、クリムトの代表作「口づけ」のように、深淵が口を大きく開けて待ち構えている。
でも恐れないで欲しい。
危機はすべて、わたしたち経営者を育て上げてくれる糧でもあるのです。
もし危機がなかったら、わたし太郎は計数をわがものとできず、「あいつは何もできない。鏡餅みたいなものだ」と今日まで言われ続け、そして衣料雑貨問屋さんたちが集う協会が、当社倒産の危機のとき、もしも救いの手を差し伸べてくださっていなければ、「やはりあのろくでなしが会社をダメにした」と蔑まれていたことだろう。
「過ちの中には神が宿っている」
経営者の皆さん。ぜひ計数をわがものとしてください。
「経営改善計画書」の提出を求められたとき、過去の決算書を必ず紐解いてみてください。
必ず会社の健康を元に戻す道筋が見えてくるはずです。
今回で過去三期分の決算分析を終えました。
これらの結果に基づいて、次回からは「経営改善計画書」の作成に取り組むことにします。
長丁場になりますが、楽しみながらご一緒しましょう。