わたくし太郎は、自分が利己的に過ぎることを、幼い時から悩み続けてきました。
そんなわたくしを救ってくれたのが、動物行動学者の第一人者である、日高敏隆氏が書かれた二冊の著書との出会いでした。
『利己としての死』(帯の情報「どの動物のどの個体も「利己」の権化。動物も人後に落ちない話の数々」)
『プログラムとしての老い』(帯の情報「遺伝子がしかけた「悪だくみ」とは? 動物行動学者の第一人者が解き明かす、「老い」の正体。)講談社
「子を守るため」に親が犠牲になるのも、「単に自己の遺伝子を残すため」であり「群れを乗っ取ったオスが、既に生まれている子供(自分の遺伝子を持っていないオスの子)を殺す」のも、単に自己の遺伝子を残すため。
いずれも美しくも悲しい「種族保存、グループ淘汰」の否定に立つ説ですが、「自分の遺伝子を後代に残そうとするときには、自分が子供をつくる以外にも、自分の兄弟姉妹を助けて、彼らに子供を残してもらうという手もあるのだ」、つまり、「生物の個体というものは、遺伝子を生き残らせるために機械(生き残っていきたいと願っているのは、実は遺伝子なのだ)」との指摘には説得力があります。
みなさまにも読んでいただきたいのですが、日高隆敏氏が亡くなられて、この書物は残念なことに、古書でしか手に入らなくなってしまいました。五十代に入ってまもなく、たまたま覗いた書店の生物学のコーナーで日高隆敏氏のこれらの書物に出会えたことは本当に幸いでした。
インターネットで本が買えるようになり、わたしも利用していますけれど、もし書店が街から消えてしまったら、思いがけない本との出会いがなくなってしまう。
おそらく日高敏隆氏の書物を手に取ることもなかったことだろう。それを思うと、インターネットの普及で便利な世の中にはなったけれど、なんだかとても残念な気がしないまでもありません。
『プログラムとしての老い』の中の節「意地悪とご褒美」にこんな言葉がありました。
子供が繁殖年齢に達しつつあると、遺伝子は若い子どもたちの世代同士で次のコピーを作ってくれることを願っている。老いた人たちに対して性的な魅力を感じなくなるようにプログラムされている。それは遺伝子の増殖のために組まれたプログラムの意地悪なのである。
しかし老いた人たちの性欲が失われるわけではない。(自分の遺伝子を持つ)子どもがもし死ぬようなことがあったときのために、親の世代の繁殖力と繁殖意欲は少しは残っているようにプログラムは組まれている。
性行為によってもたらされる快感は遺伝子の利益のために組まれたプログラムに、巧みにしつらえられたご褒美である。男はとくにこのご褒美に弱い。
この本の最終章が「ミーム」
人間が死後に残せるものは二つある。
ひとつは遺伝子。
そしてもう一つが「ミーム」つまり「業績・作品・名声」を残したいという強烈な願望。
わたし太郎が小説家になりたかったのも、この「ブログ」と取り組んでいるのも、あるいは「ミーム」を目指しているのかもしれない。
本題に戻ります。
今回は、損益計算書および貸借対象を通しての「事業概況」の見本。
事業概況
過去三期の財務推移(損益計算書)
最大の問題点:償還年数が半世紀を超えています。
過去三期の財務推移(貸借対照表)
最大の問題点
長期借入金が過大
過去三期の資金収支表の推移
過去三期の財務推移(貸借対照表)では、月商の2か月以上の手元現預金を保有してはいるものの、資金収支表を見ると資金繰りは悪化しつつある。
次回は、過去三期の反省に基づいて、「改善計画の数値目標」を設定いたします。
「改善計画の数値目標」は、過去三期「資金収支表」でマイナスもしくはゼロであった「経常収支尻」を、プラスにすることにおきました。