わたし太郎は、成績はクラスではいつも上位の方に入ってはいたけれど、生来の怠け者が禍して、受験競争に敗れてしまったことを、古希を過ぎてからも悔いている。
もっとも、上場企業に勤めたいとか、司法試験や国家公務員試験を受けたいとかいった目標があったわけではないけれど…………、やはりもっと真剣に受験勉強とは取り組んでおくべきだったかなとは思っている。
「でもね、過去の経験のすべてがいまのあたなを創り上げたわけでしょう。プラスマイナスのすべてを糧にしたからこそ、いまのあなたがあるの。受験勉強にばかりに専心していたら、きっと今のあなたではなくなっていて、わたしが心惹かれることはなかったと思うわ」(老妻からの有り難い言葉)
内田康夫の小説『はちまん(上)』(角川文庫)になかにこんな言葉が書かれていた。
…………ちなみに「はちまん」とは八幡神社のことで、「前九年、後三年の役で源義家が奥州を平定した後、源氏の武威を示すため、八幡神社が建立された」が、もともとは「大分の宇佐地方の豪族たちの神様」だったという。
これは余談だが、亡父が設立した会社は、たまたまなのかもしれないが、すべてが神社に隣接している。当社の隣も八幡神社である。
「大学進学を容易にせんがために、受験競争に勝つノウハウを備えた高校が優秀校であるがごとく考えられて、そこに合格することに、中学の三年間を燃焼しつくす。マスコミはマスコミで、高校の大学合格者数を発表して、その傾向を煽り立てる。教育の優劣を、単に受験に強い生徒をそだてえたかいなかで判定し、これによって学校の序列を定める風潮が、社会にも市民にも蔓延していく 」
「人間形成のもっとも重要な時期に、たたき込まれるのは受験に勝つノウハウ。データーとしての知識ばかりが詰め込まれ、人間として必要な情緒や感性がないがしろにされ、(まるで)コンピューター人間」
確かに内田康夫氏のいう通りかもしれない。
しかし、取り留めもなく浮かんでくる想念を打ち消して、受験勉強(音楽とか絵画あるいは文章やスポーツ、趣味でもなんでもいい)ひとすじに集中する機会(時間が経つのを忘れてしまう)を経験しておくことは、人生においてとても大切なことではないかとも思う。
わたしの友人たちの中にも受験戦争の勝利者たちはけっこう多いけれど、「嫌味な奴(コンピューター人間?」などひとりもいない。かれらの共通点は、誰もがみなそろって、とにかく努力家であったことだ。そして秀才ではあったけれど、きっとわたしが知らないところでもがき苦しんでいて、少なくとも一度や二度は挫折を経験していたのに違いなく、みな人間味豊かな人たちばかりなのである。
経営分析とはなんのかかわりもないことを、それも長々と書いてしまった。本題に戻ることにしよう。
経営改善計画策定のプロセス(日本政策金融公庫資料からの転記)
自社分析
財務諸表・社内データ・同業者データ
期間比較・同業他社比較
異常個所抽出
問題点の洗い出し
抽出した異常個所について原因を推定
社内データ・現場担当者へのヒヤリングにより原因を確定
目標の設定
損益分岐点分析
目標利益の設定
改善策の検討
改善策の実現可能性と効果の検討
責任者の決定
経営改善計画書の策定
改善計画書
スケジュール
予想損益計算書
予想貸借対照表
資金収支表
改善計画の実施
実施責任者による進捗管理
従業員への周知徹底
効果の把握
月次決算による計画・実績の差異分析
経営幹部会への報告
改善計画の見直し
目標の修正
改善方法の修正
従業員へのフィードバック