昨日の文化の日に、妻は昨年亡くなった父の一周忌に呼ばれ、故郷の金沢に出かけた。

金沢まで、四十年ほど前までは、片道6時間半もかかったというのに、いまでは新幹線でたったの2時間半。

午前7時40分発に乗った妻は、夕方6時には帰ってくるという。

勉強をする時間がたっぷりとできたので、机に向かうことにした。

会社から資料を持ち帰るのを忘れてしまったので、「経営分析」はやめて、来年度応募する作品作りの準備を始めようと思ったのである。

「小説を書く場合、物語は必ず、できごとの起きた順番道理に並べ、回想シーンを用いないで物語を構築すること」

これは指導書に書かれてある言葉なのだが、わかっていても、ついうっかり、回想シーンを入れたくなる。

応募者がしてはならないという回想シーンだが、プロの作家は、どのように取り入れているのかを調べてみることにした。

本棚から、東野圭吾の『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を取り出し、わたしが一番好きな「夜更けにハーモニカを」の章を開いた。

メモを取りながら、読み進んでいくうちに、物語の中に入り込んでしまった。

わたしも小説家になりたくて、高校時代には、学校をやめようかと何度思ったことだろう。

職安にでかけて本屋さんの募集に応募して、採用通知が自宅に届いたとき、わたしは学校に行っていた。

その夜、母には泣かれ、父には「社会はそんなに甘いものではない」と叱られ、身が入らないまま、これまで通り学校生活を続けることにし、翌日採用通知を母が職安に返してきた。

小説の中の主人公は音楽で身を立てることを目指して、大学を中退する。両親が下宿にやってきて諫めるが、決心を変えない。

父が市場で倒れたと聞いて、主人公は家業の魚屋を継ごうといったんは決める。

「三年前、あんなえらそうなことをいっておいて、結局はそんなことか。はっきりいっておくが、俺はおまえに店を継がせる気はない」

「どうしても魚屋をやりたいっていうなら話は別だ。だけど今のお前はそうじゃない。そんな気持ちで継いだって、ろくな魚屋にはなれねえよ。何年か経ったら、やはり音楽をやっていればよかったって、うじうじ考えるに決まっているんだ」

「お前、音楽を続けてきて、何かものにしたか。してねえだろう。親の言葉を無視してまで一つのことに打ち込もうと決めたなら、それだけのものを残せっていうんだ」

「余計なことは考えず、もういっぺん命がけでやってみろ。東京で戦ってこい。その結果、負け戦なら負け戦でいい。自分の足跡っていうものを残してこい、それができないうちはかえってくるな」

わたしの息子もバンドを組んで活動していたが、音楽をやるために高校を中退したいといったとき、わたしは小説の主人公の父親のような説教はでき得なかった。

いまだに小説家になりたいと、うじうじ考えているわたしへの、亡父の態度も同様であった。

でも「夜更けにハーモニカを」を、丁寧に丁寧に、読み進むうちに、涙が止まらなくなり、最後のセリの言葉を読みながら嗚咽を漏らしてしまうほどに、感動していた。

そしてこのような小説を書いてみたいと、もう書けないかもしれないけれど、書けるように、努力だけはしようと思っていた。

さすがにプロだけあって、使ってはならない回想シーンを、実に巧みに使っていることも勉強になった。

こんなことをしているうちに、瞬く間に時間が経過し、嫁が孫たちを連れて、金沢から帰ってくる妻を駅まで迎えに出かけて行った。

以下はまる一日かかってまとめあげた今日の勉強のささやかな成果