わたし太郎は75年生きてきましたが、顧みれば人生とは、まさに人との出会いそして別れそのものでした。
つい先日の11月16日未明、義父が92歳で黄泉の国に旅立ちました。妻の実家そして縁戚には医療にかかわるひとたちがほとんどで、歯科医が6人・医者が4人そして薬剤師2人。義父が幼い頃から宝物のようにして可愛がってきた、わたしの妻である長女だけが、日本文学専攻。
室生犀星をテーマに卒論を書き、北陸の出身者でなければ書けない内容だね、と著名な指導教授から褒められたという妻との婚約が調ったことを知ったとき、(わたしが人に隠れて小説を書いていたことを知る今は亡き)母方の叔父が「これで安心だね」、と笑顔を浮かべてくれたのをいまでも懐かしく思いだします。
憧れていた物書きにはとうとうなることはできませんでしたが、文章の稽古を通じて、文芸評論家島内景二の書物と出会い、古今東西の物語に共通する基本的な話型を知りました。
宝物探しの旅に出かけた若者が、苦難と試練を重ねた末に、ひとりの賢人と出会い、賢人の導きにより、どんな願いでも叶えてくれる宝物を手にします。そしてその宝物はいっも、美しく可憐な女性の姿をしています。しかしその美しい宝物は、一方では恐ろしくもあるのです。
宝物を大切にしている限り、その持ち主の望みをすべて叶えてくれますが、ひとたび疎かにした途端、「源氏物語」の六条御息所や「道成寺」の清姫のように禍をもたらす存在に変わってしまう。
島内景二の「話型学」は、わたしが婚姻生活を営んでいくにあたっても、大切な指針となりました。
義父の通夜のそれも直前になって、大好きな姉をわたしにとられたことをいまだに執念深く恨み続けている? 義弟から、親族代表の挨拶を命じられました。ほんとうに意地が悪い。
余りに突然のことに、わたしは焦りに焦りました。
せっかく久しぶりに金沢に住まう弟と顔を合わせたというのに、挨拶すべき内容を練ることだけで精一杯で、まともに話をする余裕もないありさま。
真宗王国である金沢では、「どんな極悪人も真実の幸福になれる」と説く親鸞聖人の信仰告白である「正信偈」を僧侶にあわせて参会者全員が唱えますが、その間、わたしの頭の中は親族代表の挨拶文と悪戦苦闘しつづけました。そして閃いたのが島内景二の書く、物語の基本的ストーリーでした。義父を賢人に、そして妻を宝物とし、その宝物の支えがあったからこそ、たんなる凡人に過ぎないわたしが、四十五年間会社を維持でき、息子に譲ることができた、と話すことにしたのです。
挨拶の後、「単なる老いぼれの、のろけじゃないか。上手にまとめてはいたけれど、内容がまったくなかった」と、息子からは評価は散々でした。
しかし、義父が長女であるわたしの妻を目に入れても痛くないほど可愛がっていたことを知る妻の親族たちはみな、おそらく世辞も入っていたのでしょう、「よくいってくれた」・「とってもいい挨拶だった」、と褒めてくださいました。
ちょっと気になったのは、都内の私立大学で教授をする、医学博士と文学博士のふたつの学位を有する、妻の母方の従弟(40代)が口元に浮かべる微苦笑でした。
さて本題のキャッシュフロー計算書(資金繰り予測5月)に移ります。これから同じような内容が続きますが、損益計算書予算・貸借対照表予算・利益金処分案の三つからいかにして「資金繰り予算」を作成するかを、各勘定科目の数字に基づいて、自分で実際に取り組んで下さい。