きのうは、わが家の、4番目の孫娘のお宮参り。

今にも雨が降り出しそうな曇り空の下、すでにほとんど実の娘と化した嫁の、ご両親もお招きして、武蔵一之宮氷川神社へ出掛けた。

新型コロナ禍にもかかわらず、「お宮参り」と少々早すぎる「七五三」の参拝客で、参道も本殿の中も結構なにぎわいだった。

初参りを終えて、記念写真を依頼した写真家とともに、小雨が降り始めたなかを、池にかかる太鼓橋に向かっていく。

参道の向こうから、二人の巫女を先頭に、花嫁行列がやってきた。

「おめでとうございます」

参拝客の中から声がかかるたびに、恥らいながら微笑みをかえす花嫁は美しかった。

長男夫婦もまた、この神社で結婚式を挙げた。

同じように、本殿へと向かう途中で、大勢の参拝客たちから、たくさんのあたたかい声をいただいた。

見知らぬ人たちからの祝福の声に、妻はいたく感激していた。

きっとそのときのお返しのつもりだろう。

花嫁行列がわたしたちの前を過ぎようとしたとき、妻が呼びかけた。

「お幸せに」

かすかにお辞儀をかえしてきた花嫁の、口元にかすかに浮かべた笑みとまなざしは、厚い雲間から一瞬差し込んできた一条の光ににて、とても美しくそしてやさしいものであった。

駐車場で、嫁の実家についていった孫娘たちと別れ、わたしたち夫婦は家に戻ってきた。

午後から両家揃ってレストランでの食事会をすることになっていて、それまでのつかぬ間の一休み。

四日間の連休の間に、不得手な「製造業」の「減価償却」の計算方法を再復習するつもりでいたが、何も手についていない。

時間を空けてしまうと、ぼけ老人だから、また最初から始めなければならない。まとまった時間がどうしても必要になる。

そこで食事会までの数時間、東野圭吾の作品の中でわたしが一番好きな『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を読み返すことにした。

わたしは小説家を目指していたことがあった。

どうにかこうにか予選を何度か突破できるまでにはなれたが、会社の仕事に専心しなければならない状況になって、書くことをやめてしまった。

「ここまできたのに、もったいないよ、太郎くん」

筆をおいたことをとても残念がってくれた、文章の先生の声が、いまでも耳に残っている。

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』84頁

「プロになれそうかな?」

「ま、それは考えないほうがいいだろうね」

「君程度にうまい人間んはざらにいるよ。声に個性があれば話は別だが、それもない」

「曲はどうですか」

「いいですよ、しろうとが作ったわりには。(中略)でも、残念ながらそのレベルです。既存の曲をイメージさせる。つまり新味がない」

112頁

「特別な光を持っている人って、絶対に誰かが気付くんだよね」

126頁

「あなたが音楽の道を進むことは、決してムダにはなりません。あなたの曲によって、救われる人がいると思います。そしてあなたが生み出した音楽は必ずのこります」

128頁

「最後はいつもの曲です」希代の天才女性アーティストはいった。「この曲は、私がアーティストとして世に出るきっかけになった作品です。でもそれ以上に深い意味があります。この曲を作った人は、私にとって唯一の肉親である弟の命の恩人なのです。自分の命と引き換えに、彼を救ってくれました。その人に出会わなければ、今の私はなかったでしょう。だから私は、生涯、この曲を歌い続けるのです。それが私のできる唯一の恩返しなのです。どうか、聞いてください」
 そして『再生』のイントロが流れ始めた。

わたしのような無能力な人間にも希望を与えてくれる『ナミヤ雑貨店の奇蹟』第二章「夜更けにハーモニカを」のテーマが大好きでなりません。

わたしも、希代の天才女性アーティストのような「二世経営者」がいつか現れることを祈りつつこのブログを書きつづけ、同時に、小説もあわせて書き続けていこうと思っています。

今日は「経営計画の立て方」と題しながら、本題そっちのけで、四方山話に終始してしまいました。

「経営計画」の資料が整い次第、あらためて本題に取り組みたく思います。