誰ひとり見てもいないのに、テレビをつけっぱなしの家をよく見かける。
わたしがまだ幼かった時、テレビはまだ放映されてなく(最初の放映は1953年(昭和28年)2月1日NHK)、亡き母が、ラジオにかじりついて、長野県松本市出身の芸者市丸姐さんの、『ちゃっきり節』や『天龍下れば』、『濡れつばめ』、『峠三里』、『千鳥格子』、『流線ぶし』などに聞き入っていた姿をいまでも思い出す。
やがて街頭テレビが放映された。
当時16万円もしたテレビがわがやにもやってきた。
テレビを見ることに、まったく関心がなかったわけではない。ブラウン管に映し出される女性はどの人も知的でしかも美形だったし、市丸姐さんの美しさ、鰐淵晴子の美貌には心を奪われてしまった。
しかし、やはりテレビを見ることより、読書をして時間を費やすことのほうが自分には一番合っていた。
ただブラウン管を眺めているだけで、自分は何の努力もしなくてすんでしまうことに耐えられなくなって、自分からは、テレビのスイッチを入れることは少なくなっていった。
音楽を聴くのは好きで、1967年から放送を開始した深夜番組、『ジェットストリーム』(日本航空提供のFMラジオ番組)の、城 達也氏のナレーションを聞きながら、大学・大学院時代は、ポール・モーリア、マントヴァーニなどのオーケストラや、リチャード・クレイダーマン、カーメン・キャバレロ、ニニ・ロッソなどのアーティストによる演奏を聴きながら、読書を楽しむという、典型的な「ながら族」だった。
そうはいってもわたしはどちらかといえば不器用で、頭の容量も少なかったから、学校の教科みたいに、あれやこれや詰め込まれるのは嫌で嫌でならなかった。
大学時代に入ってからも同様で、仲の良かった友人は、すべての学科で「優」をとって、全学部を合わせてトップの成績で、卒業時には「右総代」として表彰された。
関心のない授業には手抜きをしてきたから「優」の数は足らず、「成績優秀者」にも選ばれることはなかったが、入学時から目的にしてきた「大学院」への進学だけは、どうにかこうにか、幸運にも果たすことができた。
「音楽」と「小説」を女性に例えるなら、表現は悪いかもしれないけれど、わたしにとって「音楽」とはただ聞いているだけで心満たされる女性に過ぎなかったけれど、「小説」の方は、どうあっても、わがものにしたい女性だった。
だから、自分も小説を書いてみようと心に決めたのだが、亡父から会社を継ぐことになって、小説家になる夢(いまでもあきらめきれずにいる)は頓挫してしまったけれど、小説の読み方は以前とは変わった。
「工夫」することを覚えたのだって、小説を通じてである。
以前は読み終えるたびに、次から次へと、新しい小説を手にしたものだが、いまは小説をあらたに買うことは少なくなって、すでに読み終えた作者の、それも同じ本を、鉛筆を手に、それこそ何十回も繰り返して読みふけるようになった。
前回にも書いた。
読み返す中から、小説全体が「起承転結」から構成されているのはあらためて言うまでもないのだが、小説を構成する「各章」のひとつひとつもまた「起承転結」から構成されていなければならないことを知っただけでも驚きであった。
「自由題」ではなく、今最も書きたいテーマを決め、それを最後に言いたいがために、小説全体および各章の構成を組み立てていく。
小説を繰り返し繰り返し読み返すのは、この「構成」を学び取るのが目的なのだ。
「暗記」だけでは決して味わえない面白さが、「工夫」をすることのなかにある。
だから飽きが来ない。
このブログのテーマである「管理会計」も同様である。
「運送業のことしか書いていないじゃないか」
このような批判のあることは知っている。
でも「運送業」のことを書いた「管理会計」の本があるわけではなく、自分なりに「工夫」をしてきたに過ぎない。
それに私が知るのは「運送業」のなかのほんの一部である。
わたしがしてきたように、このブログを読んだ二世社長が、自社の属する業界にあわせて、頭を絞って「工夫」すればいいだけの話ではないか、と返答する他はない。
では前回に引き続き、T-Logistics社で社内資料として作成されている、「部門別損益計算書」を利用して、決算損益計算書では「販売費および一般管理費」のなかに一括されている「製造原価」を抽出してみよう。
次回はこの「損益計算書」を使って、あらためて「損益分岐点分析」を行ってみよう。