早朝から机に向かい続けていたので、昨夕、気分転換をするため、近くの商業施設の周囲を、三十分ほどかけて散歩をした。

受験勉強を嫌い、小生意気にも、小説に描かれた人生を学ぼうと、一日の大半の時間を、読書ばかりに費やしてしまった高校時代には、それでも視力は1.2あった。

大学に入ってからの4年間は、生理的要求を満たす時間以外は、ほとんどの時間を、学業のみに専念したものだから、視力はどんどん落ちていって、とうとう0.0以下にまで落ちてしまった。

そういえば、小説を読みふけっていた高校時代は、深夜には庭に出て星座を見上げていたものだが、それが視力回復に役立っていたのかもしれない。

大学に入ってから以降今日まで、星座を見上げることはほとんどなくなって、机ばかりに向かい続けてきたから、視力を悪くしてしまったのは、それがいけなかったのかもしれない。

高校時代に大っ嫌いだったはずの勉強に、大学に入ってから後今日まで、どうしてこんなに視力を悪くするほど、没頭することができるようになったのか、自分でも不思議でならない。

会社を引退してからのちは、自由時間が取れるようになったので、小説を書くための土台作りに、大半の時間を当てることができるようになった。

いましているのは、小説を書く、言い換えれば「創造をする」ことを目的とする勉強だから、没頭しているうちに、いつの間にか一日が終わっている、ということになる。

だからテレビも見ないし、家族との団らんも、妻を除いて、ほとんどしない。

気分転換にたまに散歩に出るくらいなものだ。

昨夕は、空が澄んでいて、散歩をしている途中で、高校時代にみた星の数に比べるべくもないが、七つばかり輝いているのを見ることができて、思わず嬉しくなった。

わたしの目に映るのは、きっと無数に輝いているはずの星々の中で、ほんのわずかの七つほどにしか過ぎなかったけれど、それでも十分に美しかった。

老いてからも勉強に頑張っているわたしへの、神様からのプレゼントのように思えてならなかった。

「人生って本当に思うようにはならないけれど、思うようにならないからこそ、小説というものが成り立つのだ」、そんなささやきも、遠くなった耳に聞こえたような気がした、散歩のひとときだった。

とにかく、死が訪れるまで、勉強はし続けていこう。

さて本題。

今日のテーマは、わたしの仕事(1)(2)(3)(4)で作り替え終わった「損益計算書」を使って「損益分岐点分析」に挑戦してみる。この「損益計算書」さえ作成できれば、同業他社との比較が可能になり、自社がどこに位置しているか、何を目標にしなければならないのかが見えてくるはずだ。ここには載せなかったけれど、「財務諸指標」もあわせて作成しておくこともお勧めする。

「損益計算書」


「損益分岐点分析」