会長を務める父が、高齢者を活用する場としてクリーニング業への進出に意欲を持った。

社長のわたくしは代行に弟を任じて、三月二十三日から紀尾井町にある大きなホテルのランドリー課へ、修業に出ている。

ノウハウを学ぶためである。

通勤利用する埼京線と丸ノ内線は座れたことがない。修業の場は昼と三時で合計一時間の休憩の外、立ち詰めだ。おまけにいたる所に熱源があって、まるで蒸し風呂のようだ。

事業を成功させる秘訣はトップが動くことであると①教えてくれたのは、大学の先輩で名古屋に本社を置く製薬会社の社長(が教えてくれた。)だ。その言葉がうらめしくなるほど疲弊している。

ともかく修業に出てから三ヶ月が過ぎた。

それまでは、会社、出先、自宅、そして通勤に使用する自動車、すべてに空調装置が整っていた。ゴルフもしないわたくしは、絶えず窓ガラスを通してばかり自然を見ていた。

A修業に出てから室外の空気に触れることが多くなった私は、自然を受け止める五感が磨かれてきた。地下鉄を赤坂見附で降りると、高速道路の下をくぐり橋を渡る。ボート小屋のところを左に折れ、うっそうとした木々の下を歩く。外堀に添って細く続く道は土がむき出ている。(② 窓ガラスを失った私は、自然を受け止める五感が磨かれてきた。)

かっては桜の花を見ても、一年は短い、たったそれだけの思いしかわいてこないほどに、四季の移ろいに鈍感になっていた。ところが、この頃は緑がやけにキラキラと目に映る。

六月九日。その日も蒸し暑かった。アイロンがけをしていると、仕上げているワイシャツの上に汗が滴り落ちて困った。夕方、仕事を終えて地下三階の穴蔵から荷さばき場のある通用口に出る。

外は雨がしとしとと降っていた。

堀に添って、湿った空気を一杯に吸いながら歩いていると、鮮やかな黄菖蒲が目に入った。
自然はじかに自分に触れてくる人間にだけ、そっと、その美しさを教えてくれる。それを知っただけでも、修業に出た価値があった。

エッセーの書き方

講評(元「週間朝日」編集長・朝日新聞編集委員 川村二郎先生)
これまでに書かれたものから想像すると、父上は明治の男、信念の人のようですね。

僕のおやじは十年も前に亡くなりましたが十九世紀の生まれで、兄貴も僕もその信念のあおりをくって、ずいぶん右往左往させられました。

今回の話しもなかなかのものですね。

ノウハウを学ぶために修業に出る貴方もなかなかの人ですねえ。

貴方が歩かれる赤坂見附からニューオータニ(ですね)への道は、僕もよく犬と歩くので、なんとなく親近感を覚えました。

さて
① このパラグラフで一番言いたいことは「言葉がうらめしくなるほど疲弊している」というところですね。それを強調するには「教えてくれた。」とセンテンスを切ってしまわない方がいいと思います。

② もうちょっと自然な、普通の言い方はありませんか? それにこのセンテンスはAに移した方が流れがスムーズになると思います。

それはともかく、非常にかっちりした文章です。

修業はいつまで続くのですか?