樹高五メートルばかりのミカンの木が、わが家の駐車場の片隅で、葉を茂らせている。

長男がまだ幼稚園に通っていた頃、おやつに食べた、確かグレーツフルーツだったと思うが、種を庭に捨てたところ、そのうちのひとつが芽を出した。

「桃・栗三年、柿八年、柚子の大馬鹿十八年」と言われるとおりに、芽を出した種は大きな木く成長していったけれど、息子が二十歳の半ばを過ぎても、葉を茂らせるばかりで一向に花も咲かせず、したがって実を実らせたことはただの一度もなかった。

だから息子は、ミカンの木に自分の姿をかさねて、自嘲気味に、「かっくん(かれのあだ名)」の木と呼んでいた。

ところが父の代から毎年庭の手入れを頼んできた植木屋に、ある事情があって手入れを断った、その年の翌春のことだった。

窓を開けた途端に、庭から部屋の中に、それはそれは甘い花の香りが部屋の中一杯に、溢れるように流れ込んできたのである。

「かっくん」の木は、花も実もならなかったわけではなかった。

毎年、春先にやってきては、植木屋が伸びた枝をことごとく切り落とし、すっかり丸坊主にしていたことが原因だったのである。

それからは春には甘い香りを楽しませ、そして秋には、陽光を浴びて黄金色に輝く、直径が15㎝もある大きな実を、数えきれないほど結実するようになった。

楽しませてくれるのは目だけではなく、実を皮ごとジャムにして、秋の味覚も楽しませてくれている。

大きな実に枝をしならせているミカンの木を眺めながら、幼かった息子を、ことあるごとに叱り飛ばしたりせず、ただ寄り添い、温かく見守り続けてさえいたら、今ごろは「かっくんの木」のように、佳い匂いの花を咲かせたくさんの実を実らせていたかも知れないと深く反省しながら、三人の子どもを持つ親となった「かっくん」がこれから先どんな花を咲かせて如何なる実を実らせ、味を楽しませてくれるかを楽しみにしているような、実に身勝手な父親である。

「ばば、ミカンの木の枝に大きな蜂の巣ができてるよ」

五歳の孫娘から、買い物帰りの途中の妻の携帯電話に、そんな連絡があったのは十月に入って間もなくのことであった。

急いで帰宅してミカンの木を見上げると、高さ三メートルばかりの、幹から枝分かれした太い枝の先にちょうどメロンほどの大きさの蜂の巣ができていた。辺りを、二センチほどもある大きな蜂がブンブンと羽音をたてて数匹飛びまわっていた。

十年ほど前、元関東郡代伊奈家の家老宅の長屋門(さいたま市指定 有形文化財(建造物))を見学に出かけた。長屋門の前の広場だけで、我が家が三軒建てられるだけの広さを超えている!

野良着姿の大奥さん(手拭いの下から覗く顔たちは、五十路を過ぎてもなお美しく知的だった。東京女子大学を卒業)に案内されて屋敷地に入る。

振り返ると、長屋門の軒先に、二抱えもあるほどの大きな蜂の巣が下がっているではないか。それもふたつ!!

「蜂の巣ができるのは吉兆のしるしと伝えられていますので、取らずに大切にしています」

当家のミカンの木の蜂の巣は、長屋門の蜂の巣にはとうてい比べるべくもないが、なにしろ街中にある。

歩行者の数も多い。

「もし刺されでもしたら、大変な迷惑だ。すぐに駆除してもらおう」

以前テレビの番組で、蜂の巣を駆除するのに15000円ほどかかった、と聞いた覚えがあった。

「それぐらいの出費なら、この際仕方がないか」

インターネットで「蜂の巣駆除」で検索した会社のホームページには、「四千円から。見積もりは無料」、と書かれてあった。

「蜂は暗くなってから巣に戻ります。夕方6時頃にお伺いさせていただきます」、との電話受付の言葉。

丁度6時に玄関のチャイムが鳴った。

すぐにミカンの木の蜂の巣を観てもらうと、担当者はその場で、すらすらと見積書を書き上げた。

基本料金            3000円

出張料金         15000円

作業(スズメバチ 巣20㎝)18000円

作業(高所作業)     12000円

WEB値引き        -1000円

消費税           3700円

合計金額         40700円

冬が来れば働きバチは死んでしまうらしい。しかしそれまでの間に、人さまに迷惑かけるようなことがあってはならない。幼い子供たちだって大たくさん通る。

この月は火災保険更新時期391790円と重なっていて、年金暮らしの年寄には実に痛い出費だが、泣く泣く駆除してもらうことにした。

スズメバチが、来年からは、もう巣をつくらないでくれることを、ただただ祈るばかりだ。