コロナ禍でたいへんな年となった今年も、あと半月余りで、新しい年。

わたしは、高齢者の仲間入りしてからというもの、年を経ることに、足腰が弱ってきて、道で躓いたり、転んだり、階段を途中で踏み外して床に落ちたりと、まるでこれまでに歩んできた人生そのまま繰り返しているようなことが、しばしばおこるようになった。

先日などは、喉が渇いたものですから、冷めてしまった飲み物を温めようと、レンジに入れてスイッチを入れたとき、表示の秒数が4、3、2、1、0と減っていくのをじっと見ていて、自分の命も、このようにある日突然切れてしまうのだろう、という思いがふと頭をよぎっていきました。

でも自分なりに、精一杯生きてきたから、それでもいいか、と思えるようになりましたが、でも死の間際まで、若いころに怠ってきた勉強は取り戻したいものだと、シャンソンを聴きながら机に向かっている毎日です。

遠い遠い高校時代に、わたしは初恋をしました。

手をつないで、幾たびもデートをしました。

まつ毛が長く、ほっそりとしていて、襟元から立ち上ってくる微かにあまく、爽やかなリンゴの匂いが印象的でした。

英語が学年でもダントツのできで、超有名私立大学文学部に現役で合格した。

「わたしの人生もそんなふうでありたい」

そう願う人が好きだったシャンソンが、「バラ色の人生」。

現在進行形の恋愛を歌ったフランス語の歌詞の内容を知ったのは、失恋してから六年がたってからのことで、後にフランス語教授となった、大学院時代の先輩に翻訳してもらってからのこと。

「あなたの胸に抱かれて、耳元でささやかれる、愛している、という言葉。いつも変わらない言葉。でもその言葉をささやかれるたびにわたしはうっとりとなってしまう」。

わたしは二年間の浪人時代、彼女の顔を鉛筆画で描いてばかりいた。

そんなある日、初恋の人が超ミニスカートに長いブーツを履き「大学の先輩とデートをしていた」、と高校の同級生から知らされた。

恋する人の胸に抱かれて、うっとりとなって、口づけを交わしている、そんな初恋の人の姿は、考えただけでも耐えられなかった。

惨めだった。

わたしはその日から、彼女を描くのをやめた。

そして聴くシャンソンも、過去の愛を唄う「ラボ―エム」へと変わっていった。

初恋の人も、いまは76歳。

そうとうの御婆さんだ。

でも思い出すのはいつも、手をつないで街を歩いていたころの、すらりとした彼女の美しい姿。

わたしは35歳になって、10歳年下の妻と巡り合い、以来幸せな毎日を送っている。

でも、大学に入ってからの4年間、初恋の人を忘れられず、彼女に相応しい男にならなければと、睡眠時間を削りに削って勉強に没頭した。

きっとわたしの今があるのは、おそらく初恋の人と巡り合った経験のお陰だろう。

以下は仕事の話。

跡を継いでくれた息子は、経営者仲間に、「資金繰り表」ぐらいは自分の手で作れるようにならないと、と話したそうですが、全員が顧問税理士に頼めばやってくれるからと、との返事に驚いていました。

わたしは亡父からただ会社を譲られただけです。

会社設立以来の決算書と暦月試算表の「経営分析」、そして期のはじめに部門長から提出された「損益計算書予算」から「貸借対照表予算」を作成して「資金繰り表予測」までたてられる手続きを、あわせて伝えることができた。

エクセルですと計算式をそのまま添付することで、ただ入力をするだけで、銀行から求められた資料が作成できてしまいますのでありがたいことです。

息子は再加工をして使っているようですが、すこしでも役に立つことができたことは、うれしい限りです。

これもまた妻の支えがあったのはもちろんですけれど、繰り返しになりますが、高校時代に、初恋の人に出会わなかったら、いまの自分はなく、怠け者のまま、一生を終えたことでしょう。

代表者を引退してから再挑戦をはじめた小説新人賞は、三年続けて予選さえ通過できないでいますが、でもめげずに、来年応募する新しい作品のプロット(設計図)づくりに二か月間没頭し、ようやく完成したものですから、昨日から、描こうとしている時代の背景となる資料を読みはじめたところです。

小説を書くための資料を読みながら、yutubeで「バラ色の人生」、「ラボエム」、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の主題歌「reborn」を、繰り返し聴いているうちに、知らず知らずのうちに、字が涙でかすんできてしまう。

いい年をして、実に情けないことだ。