七十五歳になったわたしは、自動車免許証更新前の「高齢者講習」二度目である。認知症の試験では70点を大幅に上回る98点で通過したが、視力調査では眼鏡を新しくするように勧められた。
眼鏡店にでかけ、再検査をしてもらったところ、ぎりぎりセーフだから、替える必要はないでしょうと言われた。
一年半ほど前に、目を閉じても右目に、いつまでも光の残像が残っているので、眼科の診察を受けたことがある。
光の残像はしばらくして消えた。
しかし検査の結果それとはまったく別の診断が下され、左目の網膜の前にゼリー状の膜ができているという。
「風景が歪んで見えないか? 歪んで見えるようだったら至急手術が必要だ」という。
確かに左目に映る風景は、右目で見るよりも大きいけれど、別に歪んではいない、と伝えたところ、三か月に一回必ず診察に来るように約束させられた。
しかも光の残像が見えた右目は、乱視がひどく、白内障もかなりすすんでいる、との診察。
わたしの文章の師斎藤信也(朝日新聞元記者)先生は晩年緑内障にかかって失明した。
目が見えなくなると何もできなくなる。定期検診にはできるだけいくようにはしていたけれど、ここ半年余りサボり続けてきた。
自らも視力が著しく落ちてきたことを実感しているだけに、自動車免許更新時の「視力検査」が心配でならなかった。
警察での「視力検査」は無事に通過できたが、係官の女性からも、「できるだけ早い期間に新しい眼鏡に替える」ように助言された。
次回の更新は八十歳手前である。人様には迷惑をかけられないから、そのときは免許証を返納しよう。
でも好きな勉強は死ぬまで続けたい。できるだけ目を酷使しないでおこう、とは思ってはいるのだけれど、夢中になっていると時間がいつのまにか経過して、気が付いたときは、目がかすんでしまっている。
本題に入る前に、小説の「プロット」を探ってみよう。今回は山本周五郎の『人情武士道』を取り上げてみた。
さて本題に入ります。もう皆さまは「資金繰り予測」ができるようになりましたね。
最近は機械でなんでもできるようになったから、人の手は必要としない、とおっしゃる方が多くなりました。でも機械を作り上げたのは人間で、機械が人間を作ったわけではありません。
機械を使うのも否定しませんが、やはり自分の手を使って、苦心惨憺することも大切なことではないでしょうか。
経営者のための「資金繰り予測」の立て方も残すところ次回のみとなりました。
資料を作成して、年内中にみなさんにお届けしようと思う。
そしてまた次回も、山本周五郎の作品『花杖記』をとりあげて、小説のプロットを継続。