中小企業の社長がする仕事の中でもっとも肝心な営業を、わたくし太郎は一度もしたことがない。
取った仕事は、それほど多くはないが、すべてが「棚ぼた」…………!
ほぼ半世紀も前の話になります。
わたしが社長になりたての頃、就任祝いとして、婦人下着メーカー(十年ほど前に物流の一元化で京都に集約された)として知られる上場企業の副社長を紹介してくださったのが、大手保険会社に勤める、当時ではまだ珍しかった女性管理職のMさん(それはそれは魅力的で、眩しいほどに美しい四十代の人)だった。
お話をいただいた数日後、外出先からの帰りの電車の中で、前の席に座って、泣き叫ぶ乳飲み子に乳を含ませようとしている若いお母さんを見かけた。
衆人の目の前で、露わな白い胸を隠そうにも隠しきれず、ぽっと頬を赤く染めて、いかにも恥ずかし気に俯くその姿が可哀想でならなかった。
まだ経済学を専攻する学生だった頃、西洋絵画の大ファンであったわたしは、夏休みの一か月間をかけて、ヨーロッパ各地の美術館を訪ね歩いたことがある。
そのときに強く心を惹かれたレオナルド・ダ・ビンチの聖母子像が、目の前で乳飲み子に乳を含ませている若いお母さんの姿と重なった。
聖母子像のマリアの胸には、糸を解けさえすれば乳首だけが出せる「縫い付け」が描かれていた。
この絵画の複写を同封し、電車の中で見かけた光景をそのまま手紙にしたため、「人前でも胸を露わにすることなく、乳を含ませることができるような衣類を開発できないものだろうか」との内容を、紹介を頂いたばかりの婦人下着メーカーの副社長あてに、厚かましくもお送りした。
このことが幸いしたのかどうか分からないけれど、事業本部長からの礼状が届いて間もなくして、紹介してくださった女性管理者から、「継続契約書に捺印を頂きたいそうです。取引成立ですね。おめでとうございます」との朗報が届いた。
話は突然変わるけれど、外国の翻訳書(その訳文は日本語としてまだこなれていないように私には思える)を何冊か購入したことのあるD出版社から、毎日十通に近いメールが届くようになった。
ほとんど読むことはないけれど、棚ぼたしか知らないわたくしは、添付されていた「営業の極意」を教える動画を開かずにはいられなかった。
曰く「最初から最後まで自分だけが喋りまくる営業は、もっとも嫌われるタイプだ」
この言葉には「当社の営業課にもいるいる!!」と思わず失笑してしまった。
主な内容の要約
「紹介を貰える営業マンは、決して自分は喋らず、相手の話を聴く」
「絶対にNGなのは、あなた(の仕事)の話し。それは相手にとって、世界一どうでもいい話」
「会話の99.9%は相手(の仕事)に関する話題」
「人は自分をいい気分にさせてくれる人が大好き」
「売り込みは嫌われても、Feel Good Questions(相手にとって気持ちの良い質問)」で嫌われることはない。
最後に、「〇〇さんの仕事って、どんな人が見込み客になるんですか?紹介できる人がいるかもしれないので、よろしかったら特徴を教えてください」、とさりげなく、しかし心を込めて口にする。
紹介の連鎖を起こす一連のプロセスでこのことが最も重要
初対面でこんな質問をする人は0.1%もいない。この質問だけで、その他大勢から一歩抜け出せる。
相手に「このひとと付き合えば、仕事が増えるかもしれない」という印象がインプットされる。そのなかには、あなたへの「お返し」も含まれる。
動画の内容はほぼこれで尽きると思う。
わたし太郎が高名な「婦人下着メーカー」と取引できるようになったのは、紹介をいただいた方の強力な援護射撃がものをいったのはもちろんのことだが、自分の隠れた得意技ともいえる「西洋絵画」の知識のなかに、たまたまお役に立てるような情報が含まれてたことも、少なからず影響があったのではなかろうか。
わたしはD出版の「営業の極意」にいや優る、自分の得意技を生かしなさい、との大いなるもの(わたしの守護神?)からの「無言の教え」にとうとう気づかないまま、いまや古希も半ばに至ってしまった。
目の前に宝物の山を発見していながら、それが見えなかったのだから、本当に馬鹿な二世経営者ですね!!