代表者を退いて5年が過ぎた。

でも、病院の予約が入っている以外の日は、ほとんど毎日出社している。

といっても働いている時間は、わずか4~5時間に過ぎない。

働いているとはいっても、代表者の息子に会社経営の地図として役立ててもらえたらと思い、亡父が会社を設立して以来の「決算書」とすべての期の「歴月試算表」を、ただ分析をしているだけなのだけれど。

何しろ60年間に及ぶ資料である、毎日毎日、新たな課題が次々にでてきて、瞬く間に時間が過ぎていく。

ただでさえ忙しい各事業部の責任者に、来期予算作成の際に明確な数値上の目標を設定させるための練習のひとつとして、経理責任者から月々試算表が提出されるたびに、「損益分岐点分析」の作成を課して、煩わしい思いをさせることもままあることはある。

でも、七十の半ばを過ぎてからも、毎日すべき仕事があるというのは、ひょっとしたら、実に幸せなことなのかもしれない。

もっとも口の悪い友人からは、「仕事を続けている聞いていたけれど、以前と変わらず、毎日、ただ遊んでいるだけじゃないか」と言われているけれど、名門大学を卒業と同時に入社した巨大企業を定年で終えて、いまは年金生活を送っている友人の、たんなる「やっかみ」だと思うことにしている。

自宅に戻れば、寝るまでの時間を、小説の構造を学ぶために、(読んだ小説のすべてを分析する時間はもう残されていないと思うので)、気に入った小説、それも短編小説のなかから選んだ名作だけを紐解いている。

分析をしながら読んでいると、骨が折れてしまう。

だから生来の怠け者であるわたしはつい楽をして、これまでに何度も繰り返して読んだ小説であるにもかかわらず、読んでいるうちにストーリーの展開自体が面白くなってきて、本来の目的である「分析」を忘れ、ただ読みふけってしまうことがしばしばおこる。

そんなときは孫が使い古した、ちびた鉛筆で、「起承転結」の移り変わり箇所に、傍線だけでも書き加えておくことにしておく。

そうしておけば、あとは「起承転結」のそれぞれ箇所の書かれていることの要約をするだけで済むからである。

会社でも自宅でもわたしがしているのは、老後の時間を費やすための、ただの勉強にしか過ぎないけれど、学年の順位を争う学校時代の勉強とはちがって、比較にならないほど面白く、まったく飽きがこない。

でも幼いころからこれだけの勉強を続けていたら、とときどき深く反省はするのだけれど、暗記が中心の学校の授業とは違って、「経営分析」も「小説の構造」も、「暗記」ではなく「工夫」が要となっているから続けられるのだと思う。

今している勉強が、絵を描いたり、彫刻をするのに似て、「工夫」と不即不離であるのが、いいのかもしれない。

母方の先祖は、加賀藩で代々扶持をいただいていたほどの名人「白銀師」で、明治政府は明治六年「ウイーン万国博覧会」の出品作品を金沢金工家に注文し、その制作のために結成された金工集団の「棟取」を務めていたほどである。

ひょっとすると、ほそぼそとでしかないかもしれないけれど、わたしの血にも「伝統工芸家」であった母方のご先祖様の血が流れているのかも知れない。

塩尻市熊井の地を遠祖とする由緒ある熊井一族の一人だけれど、心の片隅では、ひそかにそして憧れにも似た思いで、ひたすらにそうあってほしいと願っている。

ご参考までに、ついさっき、まとめあげた、出来立てほやほやの「小説の構成」を、ご参考までに載せておきました。

『剣客』(『鬼平犯科帳6巻』池波正太郎)