つい一週間ほど前に、プラグインのソフトを更新したところ、更新前まで普通にできていた、資料添付が以来出来なくなりました。

ソフトにからきし弱く、今もってブログの修正方法が分からずじまい。

止む終えず、修復方法がわかるまでの間、誠に勝手ながら、寄り道をすることにいたします。

その寄り道を辿りながら思うことですが、わたし太郎は、子供の頃から、何ごともうまくならなくなると、すぐに投げ出してしまうというまったく根性なしの人間でした。

難しい局面に遭遇して、逃げ出さなくなったのは、二年続けて志望大学を落ち、それまでは考えてもみなかった不本意な大学に入学した年からでした。

何もかも忘れ、勉強だけに専心することにしたのです。

しかし、彫刻家がハンマーと鏨(タガネ)だけで固い岩石に向かっているのに似て、勉強は遅々として先に進むことができません。

それどころか、石の目に気づかずに、鏨をハンマーで打ち付けて割ってしまうように、せっかくの努力をムダにしてしまうことが、それこそ数えきれないほどありました。

ですから大学四年間で学んだのは、学問をすることではなく、学問をするための「ハンマー」と「タガネ」の使い方だけでした。しかもそれさえ完全にマスターできたわけではなかったのです。

菊池寛の名作『恩讐の彼方に』は愛読書の一つなのですが、隧道を掘り進むのに、装備がノミと槌だけなのに、違和感を感じるのです。

石を彫るにあたって、粉塵を吸わないためのダストマスク、飛び散った石の破片から目を保護する安全ゴーグル、擦り傷、水ぶくれ、切り傷を防ぐためにするグローブなどが不可欠なのです。

そうしてから取り組まないと、飛び散った石に含まれる石綿のために肺がんになる可能性が高く、危険だからです。それは今も昔も変わりません。

健康管理を忘れ、ただガムシャラに朝から晩まで勉強に取り組んだわたしは、風邪をひけば肺炎を併発し、目を休ませることさえ忘れて書物に向かっていたものだから、0.01以下というひどい近眼になってしまったのです。

三週間の入院生活を、三回も経験したほど、健康管理を怠ってきました。

それほどの努力をして七十五年間を生き、どうにかこうにか会得できたのは「管理会計」の知識と、一番自信のあった文章でさえ、小説新人賞に応募して、出来のいいときで二次予選通過といった、実に情けない一生でした。

会社の経営においても、実力ではなく、棚から牡丹餅の幸運が重なって、どうにかこうにか45年間維持し続けてきただけですから、どちらかと言うと、無能な経営者に部類するでしょう。

昔話の一つに、賽の河原で幼くして亡くなった子供たちが、親への供養のために石を積み上げ、積み上げるたびに鬼に壊されるという物語があり、石を積むことが「無駄な努力」に譬えられています。

わたしの人生も、石を積み上げる努力に似て、苦労したわりには、ほとんど報われることはありませんでした。

でも決して「無駄な努力」だったとは思っていません。

実に幸せな人生だった、満足しているし、フルマラソンを完走した気分なのです。

人の世を生きることは、何事においても、石を彫る作業に似ていると思っています。

ハンマーと鏨だけで固い岩石(人生、勉強、仕事)に立ち向かっていく姿勢を、菊池寛の名作『恩讐の彼方に』の主人公のように、わたしは美しいと信じています。