人生はいつ何時、何が起こるか想像もつきません。
まさにこの一週間がそんな状態でした。
具体的な出来事の内容については差しさわりがありますので申し上げられませんが、つい二週間ほど前にお会いしたときはお元気な様子で、笑顔を交わしあったというのに、ひどい立ち眩みがするというので、念のために受診した病院で罹病率が一万人に一人という難病であることが分かりました。即座に紹介を受けた大病院に緊急入院し、三日後、手術を受けることになったのです。
わたしよりも十歳以上若いというのに、本当に気の毒で気の毒でなりません。

わたし太郎もいつなんどきあの世からお呼びがかかるか分からない年齢になりました。
旅立っていく前に、読んでくれるかくれないかはわかりませんが、若い二世経営者に向けて、このようなブログを遺言書がわりに書き綴っています。
できれば毎日、少なくとも二日に一編は更新し続けていきたいと思っています。しかし、引退して三年が経過したというのに、なかなか自分の時間がとれず、はかどらないままです。それでも書き上げるために必要な資料だけは、毎日欠かさず作り続けてはいます。

「頭を鍛えるためには、ただ読書をするというだけではなく、あわせて文章を書き続けるということが秘訣にように思います」
これは、わたしの文章の師である斉藤信也氏(元朝日新聞記者・元随筆春秋代表)の言葉です。

読書は「論理」を鍛え、文書を書くことは「創造力」を養う。

師が仰りたかったことを現在の言葉で言い直すなら、おそらくは、左脳(論理)はもちろんのこと右脳(創造力)を鍛えることも忘れてはいけません、ということだったのでしょう。

ステイーブン・R・コビィー著『7つの習慣』のなかに、「持つ」と「ある」のテーマで次の言葉が書かれていました。
「家さえ持っていれば幸せになった……」
「もっと部下思いの上司を持っていたら……」
「もっと忍耐強い夫を持っていたら……」
「もっと素直な子供を持っていたら……」
「学歴さえ持っていたら……」
「自由になる時間を持っていたら……」

「わたしはもっと忍耐強くあるぞ」
「もっと賢くある
「もっと愛情深くある

「持っていたら」ではなく「ある」に焦点を合わせることは、人格を磨くことに他ならない。問題は自分の外にあると考えるならば、その考えこそ問題である。

この一文に出会えただけで、この書物を読んだ価値がありました。

わたし太郎も「~を持っていたら」と思ってばかりいたときがあります。そのころは不満ばかりで、精神的にも、とても不幸でした。

師について、文章を書く勉強をはじめようとしたのも、そんな自分を客観的に見詰める目が欲しかったからでした。

お陰様で、水準のほどはともかくとして、わたし太郎には「管理会計」と「文章」の二つがあると自負しています。
わずかに二つ。
それでも人を羨むことのない、とても幸せな老後を送っています。

この幸せな気持ちを、例えわずかでも、二世経営者の方々にお裾分けしたい。

わたしが亡父の会社に二世として入社した時、経理課長として働きながら「公認会計士」試験に合格し、後に渋谷で「公認会計士事務所」を開いた先輩がいました。

経済学部を出ていながら会計学の知識がまったく欠落していた入社当時のわたしを知る先輩は、わたしがパソコンを使って自分で作成した「資金移動表」を見た途端に、「いいソフトがあるのだね」と驚かれたのにはこちらこそびっくりしました。

きっとどこかのソフト屋さんから買い求めてきたもので作成したものと思い込んでいたようです。でも現役の公認会計士から、「いいソフトを見つけたね」、といわれたのは本当に嬉しかった。

「税務会計」は、とてもとても先輩にはかなわないけれど、「管理会計」ならどうにか互角に渡り合えそうだ、と自負していた当時のことを懐かしく思い出します。

またまたわき道に逸れてしまいました。

本題に戻りましょう。

暦年キャッシュフロー計算書(間接法)を掲載しておきます。みなさんはこの一覧表から何を読み取ることができるでしょうか。