動物行動学者の日高敏隆氏の著作(人間は遺伝か環境か? 遺伝的プログラム論)の中で、「人間にはみんな個性があるから、一人一人みんなキャラクターが違う。癖も違う、得意にしていることも違う。感覚というかセンスも違う。平均値的な人間というのはいない。一見理想的に見える親たちであっても、必ずどこかに欠けた部分がある。人が社会生活を営んでいるのは、父親という一人の男、母親という一人の女は全体から見れば、必ずズレた存在なのだ」、と述べている。

集団生活を営んでいると、「人間にはさまざまな人がいて、その人なりにいろいろなことをやっている。それをかっての子どもたちは毎日毎日、目のあたりにしていたはずだ。そうすると、ああ、あんなこともするのか、こういうこともするのか、こういうことをしたいときはこうすればいい、ああいうことをやるとダメなんだな、ということを次々に経験する。おかげで非常に多くのおことを学習できたはずである。それは一人一人の子どもにしてみれば、興味のつきないことでもあったはずだ」

「他人とのつきあい方にしても、決して一様なものではない。このひととは、こうつきあう。あの人とは、別のつきあい方をする。かってはそれをちゃんと学ぶことができたはずだ。ところが現在は、それがほとんどできなくなってしまった。ようするに、家族が家族ごとに独立して生きていくことになったので、そういうふうになってしまったのである」

思い返せば、わたし太郎も、多忙な父はほとんど眠るためだけに帰ってくるような状態だったから、母子家庭も同然だった。母方の叔父たち三人はみな秀才だった。桁外れの頭脳を持つ弟たちの尺度でしか人を見ることのできない母は、中の上ほどの成績しか上げえない愚鈍なわたくに苛立ち、裁縫に使っていた物差しで打擲することがしばしばだった。

でも不思議なことに、そんな出来の悪いわたしのことを叔父たちは、「姉さんはひとつの物差しでしか人を計れない。太郎くんが秘めている潜在能力の高さにまったく気づいていない。やさしさ、思いやり、温かさ、繊細さは勿論のこと、こんなに小さいのに、懸命になって人の心を読み取ろうとする努力。わたしたちなんかにはとても持ち合わせていないようなとて優れた資質をもっている」、と訪ねてくるたびにかばい、そして可愛がってくれた。

自ら愚鈍だと認めるわたしを、そういって慰めてくれる心優しい叔父たちが、唯一の救いとなっていた。

出来ないながらも勉強をし続け、読書をし、文章を書くようになったのも、また絵画や音楽にも関心を持つようになったのもすべて、敬愛する叔父たちにほんのわずかでもいいから近づこうとしてのことだった。

わたしの今があるのは叔父たちのお陰だと言っても過言ではない。

しかし人間とは不思議なもので、わたし太郎も、自分が欠落した親であることに気づくことなく、自分の息子たちに対して、物差しで殴りはしなかったものの、母のように、自分の信じる価値を無理やり押し付け続けてきたのだった。

幼い頃の息子たちは素直に従ってくれた。しかし自立心が芽生え、体力もつくようになるにしたがって、わたしに激しく反抗するようになった。

わたしは面倒になって、朝夕に顔を合わせても、挨拶さえ交わさなかった。以来10年余近く、息子たちを完全に無視し続けた。

その10年の間、息子たちはアルバイト等でたくさんの大人たちにもまれ、「親がなくても子は育つ」否「親があっても子は育つ」の通り、わたしなんかよりも、はるかに上を行く大人に成長していった。

そして、どこまでも深くそして温かな妻の愛情、祖父母、そして妻方の実家の大勢の親族たちが愛しんでくれたおかげで、幸いなことに反社会的な人間にはならなかった。

わたしはながらく経営者をしてきた。しかし社員たちには誠に申し訳ないけれど、子育てという観点から見てもお分かりのとおり、経営者としての「リーダーシップ」を磨き上げ得ずに終わった。

そういえばわたしは、幼い頃から人と交わることをせず、自分のしたいことを、ひとりで黙々と積み上げていくことが性に合っていた。だから「付き合え」などと人から誘われても、面倒だから相手にしなかったので、「付き合いにくい男」という烙印を押されてしまった。

ずいぶんと年を経て、日高敏隆氏の著作に出会い、はじめて社会の中で生きることの大切さを教えてもらった。
「自らを統率する」ことはどうにか辛うじてできるようになりはしたが、経営者として不可欠な資質であるリーダーシップ「組織を統率する力」はとうとう持ち得なかった。

しかし、マネジメントをとるための「管理会計」だけは会得できたと自負している。「管理会計」を不得意とする方々には、ほんの少しですが、どうにかお役に立てそうな気がしていますので、遅まきながら社会貢献をさせていただくことにいたしました。

今回は、キャッシュフロー計算書から何が分かるかがテーマです。

前回のキャッシュフロー計算書(間接法による二期の比較)から分かる、 T-logistics社 の「第52期」と「第55期」それぞれの「キャッシュの流れ」を見てみましょう。

第52期キャッシュフロー計算書(間接法)



営業キャッシュフロー(94)+現預金の取り崩し(1)

投資キャッシュフロー(▲54)+財務キャッシュフロー(▲39)

(四捨五入により、わずかながら数値に齟齬が生じています)


第55期キャッシュフロー計算書(間接法)




営業キャッシュフロー(58)+財務キャッシュフロー(43)

投資キャッシュフロー(▲50)

現預金の増加(51)


上記のキャッシュの流れから、 T-logistics社 の課題が、みなさんの目には見えてきましたでしょう。

みなさんも、自社のキャッシュの流れから課課題をみつけっだし、どうかすばらしい会社に育て上げていってください。