「ジャン・クリストフ」を有り難う。
ロマン・ロランの作品のドイツ語訳は、手を尽くしてみたのですが、日本では見つけられなかったのです。銀行のフランクフルト駐在員として多忙なあなたに、お手数を掛けたこと、申し訳なく思っています。
これまでに読んだ小説の中で気に入ったものだけを選び、ドイツ語で読み直す。それは単なる趣味で、仕事とは何のかかわりもない。夜に本を読んでいると、もう一人の自分が、「四十二歳にもなって青臭いやつだ。商売だけに焦点をしぼり、それに人生をかけろよ」と、とがめるのです。
本当に、書いてあることが分からなくて時間だけが過ぎてしまった晩などは、充実感がなくて、「今の自分に必要のないことなんか、もうやめてしまおう」と、何度思ったことでしょう。でもあきらめないで続けていると、文章の意味が突然つかめることがあります。そんな時はただうれしくて、涙さえ浮かんできます。それがたまらない。
横文字の本は、文字を見ただけで即理解とはいかない。努力が必要です。なんだか人生を歩いているのににています。先が見えないからといってくさってやけを起こしていたら、進歩も望めないし、気分だって良くない。
濃霧に閉ざされでもしたかのような文章を、知らない単語や言い回しならともかく、何度も調べたはずの単語まで辞書を引く。苦労のすえに霧が薄れて景色が見えてくる。その美しさは翻訳本では味わえない。
だから、秋の夜長を本に向かっているのです。山茶花が咲くほどですから、空気も冷えてきました。もう虫も鳴かなくなりました。真剣に読んでいると寒くないのですが、分からなくなると、足元に暖が欲しくなります。
今、あなたが昨年のクリスマスに贈ってくれた「罪と罰」を読んでいます。私の語学力では、一年でやっと一冊が限度。生きている間に、クリストフを読了できるだろうか。(だが、このクリストフは、なんとか生きている間に読了したいと思っています。)
文章修行(平成元年十一月課題「晩秋」)
講評
前回、「別のスタイルの作品を書いてみせてほしい」と申し上げたのに対して、さっそく手紙文という新しい手法で応えて下さいました。そして、やはり多彩な文章力をお持ちでいらっしゃることを、証明なさいました。感服のいたりです。
構成、表現面ともに、とくに付言することはありません。
ただ最後の結び方ですが、本を送ってもらった相手への礼状の体裁をとっているのを考えると、「読了できるだろうか(ひょっとすると、できないかもしれない)」で終わるのは、ちょっと失礼な感じもします。例えば添削のように(だが、このクリストフは、なんとか生きている間に読了したいと思っています)と結ぶ方が、より印象がいいのではないでしょうか。