小学校に入学して以来、勉強というのは、人から教えられるものであって、自分でするものではないと長いこと思い込んできた。
だから「教え方が下手」な先生方に対し、もちろん心の内でだけでの話だが、「もっとわかりやすく、そしておもしろく教えろよ」と、自分の不勉強を棚に上げ、試験の成績が悪いのを、ぜんぶ先生のせいにしてきた。
そんなわたしの目を開かせてくれたのは、超秀才であった、母方の叔父の言葉だった。
「学ぶというのは、人から教えられるものじゃないよ、太郎くん。もちろん時間はかかるし、間違いを重ね続けていかなければならないけれど、もがき苦しむなかから、さまざまな工夫をしながら、自分自身で努力して掴み取っていくものだし、自分の手で何かを成し遂げたという証が、学ぶことの意味をさらにさらに深めていくものなのだ」
生来の怠け者で、かつきわめて悟りの悪いこのわたしが、叔父の言葉の意味を、ようやくのことで分かりかけてきたのは、初老を過ぎてからのことであった。
こんなわたしだが、教え方がうまい、と褒められたこともある。
もう半世紀以上の前の大学生の時のことだった。
きっと、不肖な甥太郎に、月々のお小遣いを上げよう、という名目に違いない。叔父から、年の離れた当時まだ小学生だった従弟二人と従妹の、英語の家庭教師を頼まれたことがあった。
━ ━ ━ ━ ━ 高校時代、英語の副読本で、テオドール・シュトルムの『Immensee(みずうみ)』(ラインハルトとエリザベートの悲恋の物語)に出会ってから、それまで不得意科目であった英語に真剣に取り組み始めた。
わたしは英語の基礎の基礎をただ教えただけに過ぎない。
従弟二人は、後に超難関として知られる私立大学に、そして従妹は元旧制帝国大学である国立の一期校へと進学していった。
すべて彼らの努力のたまものだ。
それなのに従弟がこう言ってくれた。
「英語の発音はまったく役に立たなかったけれど、きちんとした英語の構造を教えてくれたので、勉強とはこんな風にするのだと子供心にもわかり、勉強が好きになれた。先生のおかげです」
そんなお世辞まで言ってくれる従弟・従妹からは、いまだに「先生」と呼ばれていて、年賀状の宛先氏名の下にも、「様」ではなくて「先生」と書いて寄越してくれる。
叔父も叔母も従弟も従妹もみんなそうは言ってくれるけれど、わたしが原書で読了できたのは、英語版でドストエフスキーの『罪と罰』、そしてエーリヒ・マリア・レマルクの『西部戦線異状なし』・『その後に来るもの』・『還り行く道』・『3人の戦友』・『汝の隣人を愛せ』・『凱旋門』・『生命の火花』・『生きる時(日本語訳「愛する時」)と死する時』・『黒いオベリスク』・『リスボンの夜』・『モンテカルロに死す』・『楽園のかげり』を、どうしても読む必要ができて、「ドイツ語」と「英語」とで、それも何年もかけてやっとのことで、どうにかこうにか読了できたにすぎない。
だから、英語力はもちろんのこと、学力の全てにおいて、従弟・従妹たちの方が、わたしよりも遥か高みにいることは確かなのに、叔父叔母はいつもこう言ってくれていた。
「あの子たちが先生と呼ぶのは、いまでも太郎さん一人だけよ」
わたしが生涯をかけて会得できたといえるのは、水準のほどはともかくとして、「管理会計」の勉強で、その証が、このブログだといえるだろう。
何ごとも成し遂げるには、どうしても時間はかかる。
そして、そうした努力をしながら工夫をし続ける中から、「想像力」・「創造力」が培われていくのだと思っている。
大したこともないのに、またまた偉そうな駄弁が過ぎた。
ここで本題の「損益分岐点分析」の続きを見てみよう。
今回は暦月の「損益分岐点分析」をテーマに選んでみた。
一年間のうちで、「成績が良かった月」と「悪かった月」の「売上高」・「変動費率」・「限界利益率」・「固定比率」そして「経常利益率」を見比べるだけで、次の期に、何を「改善目標」として取り上げなければならないかの、課題が見えてくるはず。
みなさんもこれを真似て、貴社の暦月「損益分岐点分析」に、ぜひとも挑戦して欲しい。