わたしはどちらかといえば、生まれついての、愚鈍な人間の一人であると自負している。
だから社員の中には、わたしなんかよりもはるかに能力の優れたものがいただろうし、現在もいるに決まっている。
わたしなどは、ただ単に、会社設立者の息子というだけで、亡父から会社を引き継ぎ、現在に至っているに過ぎない。
決して利口とは言えないこんなわたくしが、社長として45年間の長きにわたって会社を倒産させずにこれたことが、もちろん社員や取引先の支援があったことは否定しないけれど、どうしても奇跡としか思えないのである。
死んだら、無宗教で葬儀をあげてほしい、と妻や家族に伝えてあるほど、無信心なわたしだが、幼いころから、いつも何か温かいものに包まれつづけてきたような気がしてならない。
「坊やには神様が付いている」
わたしを可愛がってくれた美しい四歳年上の従姉の言葉だ。
わたしが高校時代、父の会社がうまくいかなくて貧乏のどん底にあったとき、当時住んでいたボロ屋に、初恋の人が訪ねてきた。
彼女は市内にある、上場企業の工場長の娘で、受験生なら誰でも憧れる超名門私大の文学部に現役で合格したほど、英語がずば抜けてできた。
実らないかった初恋。失恋の苦しみ。
「坊やに相応しい人がいつかきっと現れる」
従姉はそういって慰めてくれたけれど、わたしは初恋の相手を、忘れることができないでいた。
大学ですでに恋人がいるかもしれないのに、相手に「相応しい」人間になろうとして、根を詰めて努力しつづけた。
彼女が卒業した大学の大学院に、推薦を受けてわたしが入ったときには、その人はすでに航空会社の社員となっていた。
高度成長にのって父の会社は、二部上場を目指すまでに、結局はなれなかったけれど、大きくなって、いままで住んでいた家から、セントラル空調で、全室冷暖房が完備した家に移転し、ボロ屋では四畳半ひとつだったわたしの部屋が、勉強部屋の隣に寝室のついた10畳ほどの広さの洋間が二つになった。
大学院生となって初めて迎えた夏休みに、わたしは一か月をかけて、欧州各国の図書館、美術館めぐりをした。
当時はヨーロッパ旅行をする人はまだ少なく、どの国々の大都市の図書館、美術館を訪ねても、日本人旅行者の姿はほとんど見かけなかった。
「人間の顔をした社会主義」をかかげてチェコスロバキア共産党第一書記に就任したアレキサンデル・ドプチェクを、パパ・ドプチェクと親愛をこめて呼び、ソビエト軍の侵攻を受けてプラハを逃れウィーンに亡命した、ドプチェクを支持する一家の、まるで妖精のように美しく可憐な少女ターニャと知り合いになれたのも、美術史博物館でのことだった。
その年の暮れ。
卒業した高校のクラス同窓会が開かれた。
出席した理由はただひとつ。
初恋の相手に、例え婚約者や恋人がいたとしても、プロボーズをするつもりだった
わたしの心の中では、その人がもう収まり切れないほど、大きな存在になってしまっていた。
それなのに、
後に県の教育委員長にまで務めることになった担任教師のすぐそばに座ってお酌をし、聞こえよがしに、「新婚旅行先のパリで夫が風邪をひきまして」と話す彼女。
相変わらず美しくはあったけれど、なぜか物凄く色あせて、小さく縮んで見えた。
すぐに会場から立ち去ったわたしは、木枯らしの街を帰路についた。
心の中まで木枯らしが吹き荒れていた。
「坊やには、相応しい人がいつか、きっと現れる」
従姉が予言した通り、それから10年して、10歳年下の妻と巡り合い、初恋の人は「思い出」だけの人となった。
いまでは還暦を過ぎて当時の面影はすっかり薄れてしまったが、新婚当初、妻を見た人はみな、「銀河鉄道999」のヒロイン、鉄郎とともに999号で旅をする謎の美女、メーテルに似ていると言ってくれていた。
ひょっとすると、幼いころからずっとあたたかく見守り続けてきてくれた守り神が、妻になりかわって、わたしの直ぐ傍に現れてくれたのかもしれない。
「坊やには神様が付いている」
わたしを可愛がってくれた、四歳年上の美しかった従姉の言葉を思い出すたびに、そう思えてならないのである。
さて、本来のテーマである、「経営計画の立て方」に入ろう。
「経営計画」を立てようとするとき、なぜ前もって、七面倒くさい「経営分析」をしなければならないのか、と疑問に思う人も多いかもしれない。
銀行から「経営計画」を求められたら作文すればいいだけじゃないか。
銀行には、提出された取引先の決算書がすべて保管されている。
提出された「経営計画書」の「損益計算書」に基づいて、過去の決算書を利用して、かなり確実性の高い「貸借対照表」を作成できる。
「損益計算書」と「貸借対照表」さえあれば、「原価分析」をおこない同業他社との「財務諸指標」と比べることもできるし、「損益分岐点分析」を行い「損益分岐点比率」や「経営安全率」を見ることができるばかりか、「資金繰り表」までできてしまうから、決して疎かにはできない。
その手法をこれから見てみる。計算式は、この表を見ながら、ご自分の手で探り出してほしい。
これほど愚鈍なわたしでさえ作成できたのだから、みなさまにできないはずがないではありませんか。
この表を見れば、「損益計算書」と「貸借対照表」とがありさえすれば、だれであっても「損益分岐点比率」や「経営安全率」を算出できるばかりか、「資金繰り表」までも作成できてしまう、というのは本当のことだったでしょう。作文では見抜かれてしまい、だめなのです。