主題に入る前に、わたくしごとの、よもやま話。

お盆休みには入ったけれど、コロナ禍のため、ご先祖様には誠に申し訳ないけれど、墓参を控えることにした。

妻もまた、家族そして会社の人たちに移してしまう「万が一」の可能性を恐れて、昨年暮れに亡くなった実父の「初七日」、「納骨」、そして今夏の「新盆」にも、涙ながらに帰郷を諦めた。

新型コロナウイルスの爆発的な流行などという、まったく思いもよらなかった出来事に、長い人生の間には遭遇するものだということを、わたしたち夫婦はあらためて学んだ。

当社の60年におよぶ歴史も同様だった。

会社を引き継いだ時、「一生楽をして食べていけるから、決して日本橋の本社に、足を向けて寝てはいけないよ」と口を酸っぱくして亡父から言われた、東京証券取引所一部上場の量販店が、巨大スーパーに吸収され、そして天下を二分していたその巨大スーパーもまた、今はもうない。

「うちの会社がくしゃみをしただけで、おたくの会社なんか、どこかに飛んで行ってしまう」などと、量販店に勤める末端の一女子事務員からさえ軽んじられていた当社が、いまでも生き残っているのだから、不思議といえば不思議でならない。

盆休みに入つた初日、東野圭吾の『時生 トキオ』(文庫本533頁の厚さ)という作品を何年ぶりかで、それも一日に三回、茶を飲むことも忘れて読み返していた。

帯に「宮本拓実、23歳。職ナシ、金ナシ。この主人公は俺 バカなところが俺 夢もバカなところが俺」と書かれ、裏表紙には「不治の病を患う息子時生に最期のときが訪れつつあるとき、宮本拓実は妻麗子に、二十年以上前に出会った少年との想い出を語りはじめる。どうしょうもない若者だった拓実は、「トキオ」と名乗る少年と共に、謎を残して消えた恋人・千鶴の行方を追った過去・現在・未来が錯綜するベストセラー」とのあらすじ。

生れてくる子が不治の病で死ぬことが分かっていながらも産み、病気が発症して、やはり生んだことを悩み苦しみ続ける拓実・麗子夫婦。

「産んでくれてありがとう」との感謝の気持ちを一言伝えたくて、二人がまだ若かった時代に、時空を超えて、トキオが会いにきてくれた。

そのストーリのなかで描かれていた次の場面が、私の心を捉えて離さなかった。

恋人千鶴を行方を捜して大坂に向かう拓実が、トキオに説得されて名古屋で下車をして、生みの母親東條(旧姓麻岡)須美子が営む大きな和菓子屋を訪ねた。(204頁から217頁)

生みの母須美子は手術では取り除けない頭に中に大きな血の固まりがあって、それはどんどん大きくなる一方で、そのせいで脳の機能に支障をきたしていた。

腹違いの姉東條淳子がいう。

「拓実さんは、義母が老舗の和菓子屋に嫁いで裕福な暮らしをしていたように思っていられるのではありませんか。もしそうだとしたら大間違いです。義母が来たとき、うちは崩壊寸前でした。(中略)そのくせボンボン育ちの父には、店や家を救う知恵も気力もないようでした。沈んでいく船をただぼんやりと眺めているだけだったんです」

トキオが問う。

「それをおばあ……須美子さんが救ったのですね」

東條淳子はこっくりと頷いた。

中略

「お父さんとしては、再婚が正解だったわけですね」

トキオの言葉に東條淳子はにっこりした。

何の力もない父でしたけれど、生涯最大の功績はそれでした

『時生 トキオ』を三回も立て続けに読み返したほどですから、ストーリー展開に夢中になってしまったのは言うまでもありません。

でも思わずその部分の文章に鉛筆で線を引いてしまったのは、東條淳子のいうところの、「父には店や家を救う知恵も気力もないようでした。沈んでいく船をただぼんやりと眺めているだけだったんです」という父の姿が、まるでこれまでのわたしの姿と同じだったからなのです。

ではよもやま話の最後に、「経営計画の立て方(4)」の宿題の回答を下に載せておきます。

簡単でしたでしょう。

「資金繰り」は「経営計画」の土台になります。

わたしのような後悔をしないためにも、これを機会に、しっかりと会得しくいただきたく思います。