結婚をする遥か以前からすでに実の娘化していた長男の嫁が四人目の出産のため、市内の大学病院医療センターに入院した。

そして五日前に女児出産との知らせがあったが、病院内にコロナを持ち込まないため、出産立会人・面会人は、夫である長男一人に制限され、メールに添付された映像でしか顔を見ていない。

小学校4年生とプレインターナショナルスクールに通う孫娘にくわえて、いままさにいたずら盛りの3歳になる孫息子の面倒をみなければならないために、わたしたち夫婦が会社を休んでから、瞬く間に一週間が経過していった。

小説を読んでいたいのに、学校やスクールから帰ってきて宿題を終えるとすぐに、トランプゲームの「神経衰弱」や「ババ抜き」をせがまれるものだから、実に参った。

「ばば」とやっても強すぎてちっとも面白くない。「じじ」とするといってきかないのだ。

記憶力がどちらかといえば昔から弱い方のわたしは、敵に塩をおくってしまうことがしばしばだ。

顔をしかめて「また敵に塩をおくってしまったぜ」とぼやく。

そのたびに、「じじってかわいい」と孫娘たちは笑い転げている。

「ババ抜き」だって、カードが配られると、どういうわけか「ジョーカー」がいつもわたしの手元やってきて、最後まで残っている。

言わずとも、負けるのはいつもわたしだ。「またじじのまけ」

「じじ、かわいい」といわれて憤慨して妻に訴えると、「あなたの性格は、知り合って以来、ずーっとかわいいままよ」、などとまた馬鹿にされた。

今日の午後に、娘が赤子を連れて帰ってくる。

孫娘たちはきっと赤ちゃんに夢中になり、「じじ」には目もくれなくなるにちがいない。

孫たちからの独立記念日はあともう数時間だ。

後日談

案の定、娘が帰ってきたとたんに、孫娘たちは赤ちゃんに夢中になり、じじには見向きもしなくなった。

4番目(次男の家を含めると7人目)なので、あまり感激はないだろうと妻が抱き上げた途端、顔に、自分の子が初めて生まれた時のように、愛おしさに溢れた。

わたしも抱かせてくれた。

やはり、いま小学校4年生になった孫娘を、病院で初めて抱かせてもらったときと同じくらいに感慨無量となった。

きっと今頃、会社のわたしの机には、再加工処理をしなければならない資料が、おそらく山をなしていることだろう。

孫と遊んでいるのも楽しいと言えば確かに楽しいけれど、本当のことを言うと、体力が実に疲弊してしまう。

やはり年をとっても男の生きがいは仕事なのだ。

老いてからも仕事があるのは、実に幸せなことである。

会社設立者の亡父にいつも手を合わせている。

この一週間、孫のトランプ遊びから解放された時間の大半を、新田次郎の小説を読むことに充ててきた。

引退してから再挑戦しはじめた小説新人賞募集要項には、「時代小説も、ミステリーも、恋愛小説も。全てはこの賞から始まる 原稿用紙50枚からの挑戦」と書かれている。

大半の応募者は、きっと似たような内容の作品を提出してくるはずで、それでは予選すら通過することは難しいだろう。

ところが、新田次郎は、現在の電気通信大学を卒業後、中央気象台に就職し、富士山測候所勤務等の経験にもとづいて、彼でなければ書くことのできない、『火の島』・『強力伝』・『山が見ていた』・『芙蓉の人』などなどの作品群を生み出してきた。

人を引き付ける小説を書くヒントは、新田次郎のように、自分の経験の中から、決して誰もが経験しえないこと題材に選んで、プロットを組むことなのではないだろうか。

恋愛そのものを主たるテーマにするのではなくて、選んだ題材の副菜ぐらいに考えておいたほうがいい。

新田次郎の作品集を読みつつ、遅まきながら、そんなことに気づいたのだった。

最後に日日の都道府県別「コロナ患者数」を添付しておきます。