この土日は一週間の疲労で体調が思わしくなく、終日布団の中に寝転がったままで、内田康夫の『華の下にて』・『ユタが愛した探偵』・『戸隠伝説殺人事件』そして安達瑶の『悪漢刑事・再び』の四冊を、メモを取る気力もなかったので、三度も四度も繰り返し読みふけっていた。

しかし、小説の構造をしっかりと把握できたとは自信を持っていうことはできない。

昨夕のことであった。

小学校四年生の孫娘が、国語の時間で学んだ宮澤賢治「雨ニモマケズ」の全文を、すらすらと諳んじていたには驚いた。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ䕃ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

「雨ニモマケズ」を諳んじている孫娘の記憶力の良さが羨ましくてならなかったが、こんな記憶力の劣ったわたしでも、半世紀前には、蒲原有明の『牡蠣の殻』を、一度読んだだけで全文を覚えてしまい、いまでも空で言える。

牡蠣の殼なる牡蠣の身の
かくもはてなき海にして
獨りあやふく限ある
そのおもひこそ悲しけれ

身はこれ盲目すべもなく
巖のかげにねむれども
ねざむるままにおほうみの
潮のみちひをおぼゆめり

いかに黎明あさ汐の
色しも清くひたすとて
朽つるのみなる牡蠣の身の
あまりにせまき牡蠣の殼

たとへ夕づついと清き
光は浪の穗に照りて
遠野が鴿の面影に
似たりとてはた何ならむ

痛いたましきかなわたづみの
ふかきしらべのあやしみに
夜もまた晝もたへかねて
愁にとざす殼のやど

されど一度あらし吹き
海の林のさくる日に
朽つるままなる牡蠣の身の
殼もなどかは碎けざるべき

しかし、この歳になってからは、小説を何度読み返しても、悲しいかなそんな芸当はかなわず、読んだ先から忘れていってしまう。

そして思う。

誰にだって天才だった時があるのだ。

頭を鍛えなければならない、その肝心な時に、余計なことばかりを考えていたわたしは、とうとう「人生の敗者」として終わってしまった。

でも、もう一方では、こうも思っている。

私の心の中には、たくさんの失敗の経験が川となって流れ込む、湖があるのだと。

そしてわたしには叶わぬ願いだが、もし才能の欠片でもあれば、湖から溢れ出た水はやがて太い流れとなって下流に流れていって、ときには大きな滝となって人の目を楽しませ、やがて大河となって他人の心を潤し、河口へと流れ去っていくことができる。

代表者を辞めて五年目。応募しては落選を繰り返し、ようやく、三年続けて予選を通過したころの「小説の書き方」を、具体的な形で思い出すことができた。

「経営分析」は、会社を継いでくれた息子に、すでに伝え終えてある。

もう一つのわたしの得意技?である「小説の書き方」を、七人いる孫たちのうち一人だけでもいい、ぜひ伝えたいものだが、いまのままのわたしでは到底受け入れてはもらえまい。

わたしの文章の師が、最高齢での新人賞を狙い続けていたように、わたしもまた挑戦をし続け、少なくとも「最終予選」を通過できるまでの結果を残せるまで、文章力を鍛え続けなければならない。

否、少なくとも、それだけの気概は持ち続けて、わたしに残された時間、精一杯に挑戦し続けていこうと思っている。

さて本題の「わたしの仕事」の第4回目として、第3回に抽出した『製造原価明細書』を使って、一括で「一般管理費」のなかに含まれていた「労務費」と本来の「一般管理費」を抽出して、同業他社と比較可能な「損益計算書」に書き改めてみよう

『製造原価明細書』




同業他社と比較可能な「損益計算書」の作成