あと十日で、コロナ禍のなかで、気が重い決算を迎えることになる。

本当に人生とは紆余曲折が続くものだと、つくづく実感する。

こうした紆余曲折の中で、人間は鍛えられていくものなのかもしれない。

やむなく、あるいは、あえて試練の中に飛び込んでいく、日本への留学生たちの記録を取り続けた趙麗玲は、1989年に、反日教育が行き渡る中華人民共和国から、22歳で日本に留学し、東京学芸大学大学院修了後、総合商社大倉商事に入社。

昼は商社勤め、夜はボーナスで購入した撮影機を手に携えて、中華人民共和国からの日本へ来た留学生を追い続ける。

睡眠時間を三時間に削り、ロケバスの中で着替えては出社する。そんな毎日を一年以上続けた結果、過労のため救命救急センターに運び込まれ、二週間の入院。そうして撮り続けた『小さな留学生』(2000年5月5日放送)が、反日教育に凝り固まっていた中国人たちの日本への印象を、大きく変えていくことになる。

張麗玲の撮った作品は、わたしには得るところが多かった。

youtubeでも見ることができるので、もし関心をお持ちの方は、ぜひご覧になられてほしい。二十年も前の作品だけれど、きっと、張麗玲の行動力、そして張麗玲が撮った「小さな留学生」や「若者たち」主人公の、ひたむきに人生に立ち向かっていく姿には、心打たれるはず。

艱難汝を玉にするという言葉がある。

わたしは進学高校に進んだものの、怠け放題に勉強を怠けて、どうにか落第をせずに、低空飛行のままま卒業できた。

しかし、不勉強が祟り、二年間の浪人生活を送らざるを得なかったが、目標としていた大学にはとうとう入れず、受験勉強に飽いて、思ってみたこともない大学に進むことになる。

大学時代の四年間は、高校時代の不勉強を恥じ、睡眠時間を削りに削って勉強に励んだ結果、大学院への推薦状を得た。

それまで風邪をひいたことさえなかったわたしなのに、大学院入試直前に肺炎に罹って高熱を出し、熱に浮かされたまま受けた入試の成績は、自分でも思わしくなかった。

しかし推薦状がものをいったのだと思う。

どうにか合格できた。

睡眠時間を三時間に削り、ロケバスの中で着替えては出社するという毎日を一年以上続け、過労のため救命救急センターに運び込まれた張麗玲の人生に立ち向かう姿とは比べるべくもないけれど、今のわたしがあるのは、勉強に没頭した、大学時代四年間の経験があったからこそだと思う。

高校時代に受験勉強に集中し、目標とする大学に入れたとしていたら、名門大学卒を鼻にかけた、『学はあってもバカはバカ』(川村二郎『週刊朝日』元編集長・かまくら春秋社刊)のように、「実戦に向かない人、修羅場を避ける人、ケンカの仕方を知らない人、ただの気障で鼻持ちならない人」でしかなかったであろう。

さて本題。

今回は企業の「収益性」を計る「財務諸指標」の二つ目として、「売上高租利益率」の「標準偏差」からA社の業界の中にぉける「偏差値」を算出してみた。

 

売上高租利益率