わたしがいま手にしている『マディソン郡の橋』を知ったのは、文芸評論家で電気通信大学教授である島内景二氏の『読む技法・書く技法』(講談社現代新書)で紹介されていたからだった。
当時はまだ島内氏が助教授になりたての頃だったから、読み終えたのは、もうずいぶんと昔のことになる。
「橋」は「性の結びつき」を暗示する言葉だと、その著のなかで、島内氏は言う。
『マディソン郡の橋』のヒローイン主婦フランチェスカが十歳年上の写真家ロバート・キンケードと出会ったのは四十五歳。
顔には「人生最初の深い皺があらわれかけて」いた。
書き手は、自分の小説のヒローインを若い女性ではなく、人生に対する疲労と倦怠感を感じ始めている中年の女性として設定する。
子供二人と夫のために、自分の人生を犠牲にして、尽くし続けてきた主人公が、私の人生はこんなもので本当に良かったのだろうかと心の奥で思う。
そして、彼女は「新生」ないし「再生」の可能性を模索し始める。
そんなフランチェスカの前に現れたのが、夫にはないものすべて、知的で、ハンサムで、やさしさをも兼ね備えたキンケード。
出版社の依頼をうけて、キンケードは四日間をかけて、マジソン郡の橋々を撮りにきたのだった。
フランチェスカは、橋へ行く道を尋ねにきたキンケードに心惹かれ、出会ったその日から四日間、昼も夜も、自分の「身」と「心」をすべて捧げ尽くしてしまう。
「偽りの成熟を放棄して、新たな真実の真の成熟の段階に向かう中年女性の物語」(『読む技法・書く技法』74頁)
孤独な男が旅に出て、その旅先で孤独な女を見つけ、愛し合うが、やがて離別する。(同80頁)
男も女も、理想的な異性と出会ったときに、そして新しい自分への脱皮の可能性を感じたときに、「震え」を覚える。
自己変革を中年男女のものとして描こうとしている。
人生二度目の脱皮に伴う大いなる不安、恐れ、喜び。(同82頁)
『マディソン郡の橋』に書かれたのは、中年になってからの「自己発見」と「自己変革」である。
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の第二章「夜更けにハーモニカ」に描かれた、若者のreborn(再生)に共通する「自己発見」と「自己変革」。
今日の土曜日、終日をかけて、再びこの二冊に読みふけった。
小説家とはほんとうにすごい、と改めて気づかされた二作品であった。
誰もがみんな心の奥に抱えているであろう、「こんな人生で本当に良かったのだろうか」という思いを、『マディソン郡の橋』も『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の第二章「夜更けにハーモニカ」も、丁寧に描きだそうとしている。
わたしはいま、山下達郎が歌う「reborn」(再生)を、youtubeで聞きながら、文章を書き綴っている。
先週の三連休に義娘(長男の嫁)が、youtubeで『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を見つけてくれた。
そのときわたしの膝の中に入ってきて、一緒に見ながら、頬に涙を伝わせていた小学校4年生の孫娘が、「じじ」と部屋に入ってきた。そしてわたしの傍らに立ったまま、じっと音楽に耳を傾けている。
「これって『ナミヤ雑貨店の奇蹟』でセリが歌っていた歌でしょう」。
youtubeで『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を観てから、もう一週間が経っている。
それでも「セリ」の名前を憶えていた。
妻にそのことを話すと、「女の子ってね、みんなそんなものなのよ」と微笑みながら、ノートパソコンの脇に置かれた『マディソン郡の橋』に眼をやってこう付け加えた。
「自分で選んだ人生のはずなのに、自分にはもっと別の人生があったのじゃないかって、誰しも考えることじゃないかしら。でも選択のときに、もし仮に別の人生を歩んだとしても、そのときはそのときできっと、自分にはもっと別の人生があったのじゃないかしらって、思い悩むに決まっているわ」
「再生」を願ったところで、大半の人が辿り着く先は、やはり「再死」以外のなにものでもない。
きっと妻の言う通りなのだろうけれど、人はみな「再生」を願うもの。
誰しもが心の中に秘めている思いだからこそ、小説に描かれ、そして読み継がれていく
では最後にお約束のテーマ「資金計画」についての作成済みの資料を添付。
借入金残高表(上期)
借入金残高表(下期)
借入金残高表(前期と今期の比較)
借入金残高表(利益目標の設定)
次回予定「投資計画」