神流川がつくる河岸段丘が浸食されて山腹に残った四、五十坪の平坦地の隅に、太さが二十五センチ以上はあるナラの木が積み重ねてある。

高橋さんは古希を過ぎでもなお矍鑠としていて、チェーンソーを巧に操り、その太いナラの木を瞬く間に切りそろえた。

一メートルの長さに切りそろえた太い木にオノを入れると、メリメリと一直線に割れた。木地からは甘い匂いが漂ってくる。

「乾燥の具合がちょうどいい」

その道一筋の人はすごい。木が割れる音とにおいで、乾燥具合が分かる。

木は四つに割る。太さにバラツキがあってはならない。細いのが混じっていたりすると、燃えて灰になり、出来上がる木炭の量が少なくなってしまう。

「こりゃ、ずいぶん性が悪い木だね」と高橋さん。

木の中には表面からは見えない筋があって、割れにくいものもある。この木にひびが入らないように割るのは、至難の業である。高橋さんは玄人だから、こんなときくさびを使う。つちでくさびを打ち込まれ割り広げられると、木が悲鳴を上げる。

割った木が、ある量にたまると窯に入れる。

「根元を上にして、立てて並べていきます。『木元竹裏』と覚えてください」

並べているうちに元と裏の区別がつかなくなってきて、しばしば直された。それにしても窯の中は広い。割った木を全部入れても、五分の一までこないのだ。

再び外に出る。雲間からの強い日差しに、頭がクラッとした。

朝八時前から始まった窯入れの作業は、十一時過ぎにやっと終わった。太陽は南中に近い。絶え間なく額から垂れてくる汗が目に入り、開けていられない。息も荒い。

四つに割ったといっても木は重い。窯まで五メートル余りの距離を、十本も運ばないうちにもう持ち上がらなくなってくる。

なのに、高橋さんは汗ひとつかかず、呼吸にも乱れがない。七十を過ぎているとはとても見えない。

初対面のときには、頭にわずかに残っている白髪と顔の深いしわに、えらいお年寄りだなと思った。

昼食後。窯に火を入れる。その前に、炎が窯口から逆流するのを防ぐために釣りをつくる。窯の入口の上半分を石と粘土で塞ぐのである。窯入口両側の縁、中程よりもちょっと上のあたりにつくられたくさび形の小さなくぼみに、細長い三十センチほどの石二個のそれぞれ端っこを入れ、落ちないように組み合わせる。こうしてできあがった釣りの上に小石を載せて積み重ね、その上にこねた粘土をたたきつけ小石の間の穴をつめていく。

釣りができあがれば、いよいよ火入れだ。

「初窯だから、火がつくまでが大変だ。あと半日はかかると見ていい。ともかく、たきつけをどんどんもやし、おきをつくることだ」

たきつけには、細すぎたり軽すぎて木炭にはならない木々を使う。

パチ、パチ、ゴーッと燃え盛る窯の入口に、ころあいをみて新しいたきつけをたてかける。

木の切り口からシューシューと湯気が上がる。

燃え崩れて塞がった空気の通り道を、長い棒を使ってこじあける。おきがだいぶ増えてきた。

くど(窯奥の煙突)から白い煙が上り始める。

「ポッ、ポッと切れているあの煙が、つながって出るようになれば、火がついたことになる」

ツンと刺激のある甘い匂いが辺りに漂ってきた。

高橋さんは農作業のため帰る。

太陽は傾き、山の端に沈もうとしていた。

九月だというのにウグイスが鳴いた。アカネがたくさん空を飛んでいる。

火の番をするために、これから一人で漆黒の夜を迎える。

自分で焼いた木炭を使って鉄鉱石から鉄を取りだし、その鉄を鍛えてカマやスキをつくる。

神流川のカンナの由来は、鉄鉱石から鉄を取り出す技術集団が、帰化した後にこの地に移り住んだことからきている。その古代人の苦労と喜びを、これから実体験するのだ。

「一文の得にもならないことを。数奇は身を滅ぼす元だよ」と、友人たちはしきりに心配してくれる。

でも、炭窯の背後は急な崖が聳えていて、繁る木々の上をクズの葉が覆っている。

朝方になると、その崖から落石がある。

イノシシが好物のクズの根を掘りに来ているのである。 

実に楽しい。

エッセイの書き方
講評:斎藤信也先生(元朝日新聞記者)

今月の文も、また、ひときわ別世界。見当もつきません。まあ木炭つくりが中心のお話しのようで、一応のところはイメージが湧きます。
が、文中、一ヵ所添えてあるカマやスキの話、途方もなさすぎて……

私は新聞記者時代、八幡製鉄を取材したことがある。
一万㌧溶鉱炉はまさしく灼熱の白光をあげてもえていた。
鉄鉱石を投げ込み、溶けた鉄が流出する。

この炉なら分かるんですが。古風な釜で木炭の火力で…いったい何時間かかるか。どの程度の粗鉄が流出するのか。まるで雲をつかむようです。

とはいうもののほのぼのとした原始の味、自然の中の姿、まことに羨ましいようなお話しでした。

その舞台を考えると、この「雲をつかむような途方もなさ」が、かえって似つかわしい。
「古代人の苦と喜び」とありますが、まさしく言い得て妙でした。

でも、ちょっと心配。

熊井さん、短いお付き合いですがどどっ、とのめりこみそうなタイプの方では?
とお察ししています。

ほどほどになさいますよう(と、私もお友だちと同じことを言う)

ラスト、突然イノシシが出る。面白かった。

毎回感じるのですが、上手な文章です。センテンスの短い、キビキビとした運び。朱が少ないのは手抜きにあらず。直すところがなくなってきたためです。

注文をひとつ。いつ、どこで、どういういきさつで、この文にあるようなことを始められたのか。それを簡単でいいから冒頭に解説しておくべきでしょうね。エッセイであっても、やはり必要な基本だと思う。

高橋さんという人物についてもよく分からないし。そういうデータがひとことあると、もう言うことはありません。

何しろ内容は面白いので。