孫娘から風邪をうつされて、この連休4日間は床に伏していた。

今年の5月のゴールデンウィーク期間も、やはり風邪で寝込んでいたから、高齢になってから、ほんのちょっとした風邪でも、長引くことが多くなってきたようだ。

でもただ寝ているだけでは時間がもったいないので、設立時の決算書を書庫から取り出し、ひどい鼻づまりで、鼻をぐずぐずさせながら、ノートパソコンに向かって、エクセルに書き写していった。

妻がお茶を入れて持ってきて、わたしの右目を見た途端に、叫び声をあげた。

「目が真っ赤よ!!」

どうりで右目がずきずきすると思っていたら、白目の血管が破れて、真っ赤になっていたのだった。

50代を過ぎてからが、目を使いすぎるたときに、出血することが多くなった。

きっと脳の血管も同じようにもろくなってきているのだろう。

手を休めて、茶を喫しつつ、ふと書棚に目をやると、「計数」とはまったく何の脈絡もない、東野圭吾の作品のなかの『ガリレオの苦悩』の2章『操縦る』にあった言葉を思い出していた。

研究者に必要な資質とは、純粋さだ。何ものにも影響を受けず、どんな色にも染まらない真っ白な心こそが、研究者には要求される。

これは簡単なようで、じつはとても難しい。なぜなら研究とは、石を少しずつ積んでいくような作業だからだ。

(中略)

だが、それが命取りになる場合もあるんだ。最初に置いた石は、本当にその位置でよかったのか。

(中略)

そういう疑いが生じたとき、積み上げてきたものを壊してしまうということが、なかなかできない。これまでの功績に縛られているからだ。

純粋であることは辛いことなのだ。

(中略)

この湯川君は、どれほど苦労して築き上げてきたものであろうとも、少しでも疑えば、即座に叩き壊せる男だ。

パソコンを閉じて1時間ほど目を休めていたら、出血が止まっていた。

あらためて設立当時の決算書をエクセルに写し込んでいく。

経営分析の結果は、わたしが社長在任中の決算のどの期の数値とは比べ物にならないほどに、立派だった。

「父さんの期待におれはとうとう応えることができなかった。どうにかこうにか、ただ会社を倒産させずにこれただけ。社長にしてくれた父さんには申し訳なく思うけれど、おれは社長になるのに相応しい人間ではなかったようです」

心の中で、亡き父に詫びた。

しかしこんな程度のわたしのことだ。もし研究者の道を歩み続けていたとしても、目の出ることは確実になかったことだろう。

「わたしがおまえに願っていたのは、会社をおおきくすることではなく、石を少しずつ積みあげていくように、計数をものにしてもらいたかっただけだよ。計数にさえつよくなったら倒産させることはない。思ったよりも時間はかかり過ぎたようだが、わしの期待におまえはどうやら応えてくれた」

そんな亡父の慰めの声が、天から聞こえたような気がした。

以下は、亡父の、会社設立1期目(実質2期目)の決算書










そして、増え続けるコロナ患者数

新聞・テレビでも報道されていますが、経営者の一人として気がかりでならず、やはり載せておくことにします。