社長から、各部門長に「部門別損益分岐点分析」の宿題を課したいとの要望があり、宿題を課す役割が、すでに引退して久しいわたしに回ってきた。
ただわたしは若いころからうっかり間違いをすることが多々ある。
エクセルで作成された表では、「試算表」の数値をただ入力するだけで、簡単に出来上がってしまはずなのに、わずかばかりの差異がでてしまうことが、しばしば起こってしまう。
そんなわけで、この差異がどうして生じてしまったのかに、部門長の頭を絞らせることになり、ただでさえ忙しい部門長である、このうえなく迷惑だ、と恨んでいるに違いない。
出た差異を、まったく気にもせず、答案を返してきた管理者もいれば、「売上総利益まではあっているのですが、一般管理費があわないのは、なぜですか」と質問してくる管理者もいて、まことに人はさまざまであることを知ったのは、怪我の功名かもしれない。
しかし、管理者のだれもが、わたしとまったく同じ部門別損益が載る「試算表」を持ち、一般管理費の部門配布の割合も知っていながら、「どこからこのわずかな差が生じたのかを、さらに踏み込んで自力で究明しようとしない」のが、自分のうっかりミスを棚に上げながら、どうにもこうにも納得がいかないでいる。
わたしは勉強は教えてもらうものではなく、自分の力でするものだとずっと思ってきた。
私的なことだが、40歳を間近にひかえるわがやの長男は、小学校時代から学習塾に通っていた。
しかし、中学2年の2学期までは、偏差値は30台に低迷したままだった。
妻から頼まれて、わたしは書店から、基礎問題だけがのる、厚さが1cmに満たない英数国の参考書を選ぶと、冬休みの期間、長男に何度も何度も繰り返し解かせた。
薄っぺらな基礎問題集を、それもわずか2週間、ただ繰り返して解いただけに過ぎないのに、3学期に入ってすぐに行われた実力試験で、一気に偏差値を65まであげ、英語の偏差値は70を超えた。
偏差値30の息子が起こした奇跡に、担任の先生はもちろん、友達、友達の教育ママさんたちまでが驚きの目を見張った。
それがきっかけとなって、長男は勉強に目覚めた。小学校からの憧れの同級生で、中学に入ってからも学年で一番を維持し続けてきた女子からも、「英語だけはクマくんにはとてもかなわない」とまでいわれるようになり、さらにいっそう勉強に身が入るようになった。
何年もの長い間、塾に高い授業料を払い込んで先生に教えられたよりも、一冊わずか数百円の基礎問題集を、自分の力で、ただ繰り返し解き続けてきたほうが、はるかによい結果をだせたのだから奇妙なものだ。
やはり教えられるのではなく、自分で取り組んで「工夫」をし続けることのなかから「想像力・創造力」が養われていく、らしい。
会社幹部候補生たちにもぜひそうなってほしい、と願いながら、社長とも話し合って、これからも宿題を課し続けることになった。