わたしには同居する孫娘3人と孫息子1人がいます。

一番上が小学校4年生の孫娘。

先一昨日の午後、通っている小学校の担任の先生から電話がかかってきました。

37.7度の熱があって、本人は「コロナ」にかかったのではないかと心配して泣いていますので、すぐに迎えに来てください。

学校からの帰りに、嫁が医者に連れて行ったところ、単なる「喉風邪」との診察。

帰ってきて冷蔵庫を開けると、嬉しそうに「おやつ」を頬張っていた。

味はいつもと変わらないときいて、ひと安心。

嫁が孫娘に訊ねる。

「どうして教室で泣いたりなんかしたの?」

「だってコロナにかかったら、私のせいでジジババが死んでしまうでしょう。そんなことを思っていたら、とても悲しくてなってきて、涙が止まらなくなってしまったの」

「ジジはもう七十も半ばを過ぎた。十分に生きたから、もういつ死んでもかまわないんだよ」

「ダメ。ジジババには、わたしが生んだ赤ちゃんをぜったいに見てほしいんだから」

小学校を一日休み、熱も下がりました。

昨日は、玄関まで見送ったジジババに笑顔で手を振って、集団登校をしていきました。

孫娘の言葉に、ジジもババも、とても幸せな気持ちにさせられた、わがやの「コロナ事件?」でした。

じじバカはこのぐらいにしましょう。

わたしは新田次郎の山岳小説の愛読者で、年を経て再読しながら、登山はまさに経営者の人生そのものではないか、とはじめて気づいた。

濃霧に前途を遮られ、登攀半ばで激しい雷雨、ときには杣道から滑り落ち、崖から吹き上げてくる強風に危うく吹き飛ばされそうになり、冬季登山では極寒の寒さのなか、一寸先の視界も遮る猛吹雪に道を閉ざされ、山小屋にたどりつくことができずに、掘った雪洞の中で異常な寒さに襲われながら身を縮めての眠れない夜、そして雪洞を上から襲ってくる雪崩……、

行く先々に何が待ち受けるかわからないというのに、地図にあたる「計数」を持たずに、険しい山道を縦走し続けていかなければならない、かってのわたしのような経営者がなんと多いことか。

自らが歩んできたこれまでの道を振り返ると、これまで遭難をせずに、せいぜい雪洞を掘って緊急避難をし、余りの寒さに震え続け、少々凍傷を負ったくらいで済んだこと自体が奇跡に思えてならない。

二世経営者は、先代から譲り受けて、山を歩くための装備はすでに整ってはいる。

しかし、山々に分け入るための地図に当たる「計数」と緊急事態に応ずることのできる「工夫」のふたつだけは、自らの努力で獲得していくことが必要不可欠なのだ。

装備がすでに整っていて、偏差値の高い名門大学まで出ていることは、それだけでも立派なことだとは思うけれど、二世経営者に、この「計数」と「工夫」の両輪がなければ、それらはただの飾り物に過ぎず、「会社経営」には何の役にもたたない。

登山靴、防寒服、ピッケル等を持たずに、地下足袋を履き、作業服と蓑に身を包み、おにぎりを入れた風呂敷包みを背負って、夏山を縦走するしてしまうようなつわものたちだっているくらいだ。

わたしは息子に代表者を譲ったけれど、死ぬ日が来るまで「計数」と「工夫」とを磨き続けようと、経理責任者から「決算書」や月々の「試算表」提出されるとすぐに「資金三表」を作成し、月初めに経理から届けられた「実績資金繰り表」の数字、そして「銀行帳」を開いて比較検討する

慣れてくればこれに費やす時間は30分もかからない。

どんなに忙しい経営者であっても一日のうちでそのぐらの時間なら割くことができるだろう。

この作業だけは、決して人任せにしてはならない。

自分の手ですることだ。

わたしは経理責任者から「試算表」が提出されたならすぐに「損益計算書」と「貸借対照表」から、次のように「資金三表」(キャッシュフロー表・資金移動表・資金収支表)を作成する。











この積み重ねが、経営者の「計数」を磨いていく。そして「工夫」は想像力・創造力をも磨き上げていってもくれる。