平成元年、七月二十五日に、二年間寝たきりだった母が七十四歳で亡くなった。

葬式、その後始末、初七日、三十五日の法要と慌ただしい毎日を、私たちは父の家で過ごした。

納骨を済ませてようやく我が家に戻れたのは、八月も末になってである。

玄関を開いたとき、気分が悪くなるようなかびのにおいとともに、湿気と熱気がおそってきた。

私は妻と手分けして、家の窓をすべて開けた。光とともに(削除)風が部屋に入る(さっと部屋に入った)。

うっすらとホコリに覆われた廊下には、飛び(削除)虫の小さい死骸が点々と落ちている。

居間の壁に掛けてあったバイオリンは畳の上で、弦が二本外れていた。

食堂では、クリムトの複製画が極彩色からくすんだ灰色に変わり、食器棚のコーヒー缶はふたが外れて粉が白くなっていた。かびのためである。

時計は六時をすでに回り、窓外を(の西空を)茜色に染めて、日は沈もうとしていた。

これから掃除を始めては(たのでは)近所に迷惑をかける。

が、おおざっぱにでもやっておきたかった。妻は掃除機をかける。雑巾掛けは私が受け持つ。(ことにして、)風呂場に行きポリバケツに水を入れた。真っ赤に(とたんに真っ赤に)濁った水道水が出てきて、透き通るまでに一、二分かかった。

取りあえずざっとのつもりが、つい夢中になり、掃除を終えたのは十一時過ぎである。

家の中はさっぱりとした。しかし、一ヶ月以上も干さなかった布団の中で、私たちは寝たくなかった。

翌日、天日で乾かすことにして、百メートルほど離れた父の家に行く。

明かりもつけず、しょんぼりと父は座っていた。

☆([一番大切なところですから、少しメリハリをつけましょう] これは、ショックであった。その日早速、)「お義父を一人にしておけないわ」と、妻は私たちの生活の本拠を父の家にその日(削除)移した。

それから三年が経った。家財道具は移動しないで私たちの家に置いてある。

私たちの結婚式でのスナップ、二人いる息子の幼いときの写真。*新婚から十年間の生活が、その家で化石化している。

それが見たくて、月に一、二度二人で掃除に行く。

講評(朝日新聞記者 斎藤信也先生)

さて作品を拝見して、この人なかなか書ける、と感心しました。そして、何となく書くことを楽しんでいらっしゃる雰囲気が作品から伝わってきたのです。文章もとても上手です。

この文のいちばんすばらしいところ。後半☆のところです。「ひょうたんから駒」という言葉がある。まさしく、この文がそうでしたね。

久々のわが家、埃いっぱい。ふとんも何やらじめっ、として気持ちが悪い。「仕方がない。今夜はトウさんの家で寝よう。ふとんは明日、干そう」。

全く全く100%、自分たちの都合で、父の家へ舞い戻った。

ところが……その家の中で、多分、ガランとした広い家の中で、肩を落とした父がしょんぼりと座っていた。多分テレビもつけず。その姿に孤影のさびしさが漂っていた。

ハッとする。こりゃいかんと気付く。

この「思いがけぬ結果」その面白さ。そこに持ってゆくまでの話の進め方(構成)も上手。

そしてラスト*印の軽妙さ、面白さ。初回から、なかなかの秀作を届けてくださいました。